2014年2月1日土曜日

遊動論


 柄谷行人 『遊動論 柳田国男と山人』 文春新書 800円+税

 付論 二種類の遊動性 より

 柳田はその民俗学研究初期に「遊動民」を考察した。

――彼は「山人」の存在を主張した。山人は、日本列島に先住した狩猟採集民であるが、農耕民によって滅ぼされ、山に逃れた者だという。ただ、山人は山民(山地人)とは違って、その実在を確かめることができない。彼らは多くの場合、天狗のような妖怪として表象されている。さらに、柳田は、移動農業・狩猟を行う山民、および、工芸・武芸をふくむ芸能的漂泊民に注目した。しかし、柳田はそのような遊動民と山人を区別していた。つまり、遊動性の二種類を区別したのである。……――

 柳田国男が農商務省官僚であったことは知られている。官僚ながら大学で農政学を講義した。中学時代から和歌を学び、島崎藤村や田山花袋らと文学仲間であり、詩人であった。官僚として、日韓併合に関わり、ジュネーブで国際連盟の仕事にも従事した。エスペラントも学んだ。朝日新聞の論説を担当し、吉野作造とともに普通選挙実現の論陣を張った。
 
――柳田が農政学を研究し農商務省に入った動機は、飢饉を絶滅したいということである。――

 彼の卒業論文は「三倉沿革」、中国で飢饉に備えた方策、その歴史と機能を研究。この中で自治的な相互扶助システムに注目する。

 学者・官僚としての調査(1908年)で、ある山村の焼畑と狩猟生活を見る。「富の均分というが如き社会主義の理想が実行」されていた。土地の共同所有と狩猟での役割分担に、「理想的な協同自助」の実践、「ユートピアの実現」を見出す。
 
「山人」は山に追われた先住民族の末裔である狩猟採集民。天狗などのイメージで語られる。「山民」はその後に山地に移住してきた人たちで、狩猟もするが農業技術も持っていた。調査した山村の人たちも「山民」。サンカやマタギも「山民」。柳田はこの調査後「山人」に取り組む。

――山民における共同所有の観念は、遊動的生活から来たものだ。彼らは異民族であると見なされない。ゆえに、山人ではなく、山民である。しかし、「思想」において、山民は山人と同じである。柳田はその思想を「社会主義」と呼んだ。柳田のいう社会主義は、人々の自治と相互扶助、つまり、「協同自助」にもとづく。それは根本的に遊動性と切り離せないのである。山民が現存するのに対して、山人は見つからない。しかし、山人の「思想」は確実に存在する。山人は幻想ではない。それは「思想」として存在するのだ。(略)柳田が伝えて平地人を「戦慄」させようとしたのは、怪異譚ではなく、山村に目撃した、別の社会、別の生き方なのだ。……――

 柳田は後の研究で、日本の政治的・経済的膨張に対抗して「一国民俗学」を唱え「遊動性」を否定した、と言われる。「山人」を放棄し定住農民(常民)を対象にしたと。
 そうではない。

――定住農民(常民)に焦点を移しつつ、彼は「山人」の可能性を執拗に追求したのである。最終的に、彼はそれを「固有信仰」の中に見出そうとした。彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものである。……――

(平野)
家事を済ませて本屋めぐりに古本市、ゴローちゃんと“GF話”して、編集長に本を借りて、の半日。
未来社MさんがPR誌「未来」に、『ほんまに』のことを書いてくれています。ありがとうございます。