■ 黒岩比佐子 『忘れえぬ声を聴く』 幻戯書房
2400円+税
2010年11月、膵臓癌のため死去。
歴史と人間を描く――遺稿 より
――ノンフィクションという言葉は、フィクションではないと言っているにすぎず、ほとんど意味がない。それより「ヒストリーライター」のほうがいい、と言う。……――
「ヒストリーライター」は世間では通用するだろうか。黒岩は言葉を濁して、肩書きの話を終わらせてしまうが、それをきっかけに「自分が何を書こうとしているのか」を真剣に考えた。興味を持ったことを自由に書いてきた。
――私が自信をもって言えるのは、「人間を描きたい」ということだ。人間ほど面白いものが他にあるだろうか。――
――だからといって、発信せずにいていいのか。気になる過去の人物が、誤解と偏見に満ちたイメージを抱かれているとわかった場合、それを見過ごしていいのか。過去に生きた人々は、どれほどひどく書かれても、反論することはできない。あるいは、過去に優れた業績を成し遂げながら、歴史の闇に完全に葬られてしまった人物もいる。/そうした人物に光を当て、いや、伝えなければならない、といういわば義憤のようなものが、私を評伝執筆へと駆り立てることになった。――
「歴史と人間を描く」は2010年12月から西日本新聞に連載予定だった。急死で遺された10回分と11回目予定だった[断片]が翌年5月に掲載された。
単行本未収録の文章をまとめる。大文字の“歴史”のなかで忘れられてしまった人たちの小さな姿を掘り起こす。
歴史と人間を描く――遺稿 より
多くの「友人」がいた。何せ明治大正のことを題材にしているのでほとんど70代以上。最高齢はジャーナリスト・むのたけじ(1915年生)。彼に聞き書きもした(『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)。むのは彼女の「肩書」=ノンフィクションライターを「おかしいから変えたほうがいい」と言った。
――ノンフィクションという言葉は、フィクションではないと言っているにすぎず、ほとんど意味がない。それより「ヒストリーライター」のほうがいい、と言う。……――
「ヒストリーライター」は世間では通用するだろうか。黒岩は言葉を濁して、肩書きの話を終わらせてしまうが、それをきっかけに「自分が何を書こうとしているのか」を真剣に考えた。興味を持ったことを自由に書いてきた。
――私が自信をもって言えるのは、「人間を描きたい」ということだ。人間ほど面白いものが他にあるだろうか。――
最初の「評伝」(『音のない記憶――ろうあの天才写真家 井上孝治の生涯』、文藝春秋1999年、のち角川文庫。共に品切)を完成したとき、「多くのお金と時間を費やして大量の原稿を書き上げた挙げ句」、多額の赤字を出した。
――だからといって、発信せずにいていいのか。気になる過去の人物が、誤解と偏見に満ちたイメージを抱かれているとわかった場合、それを見過ごしていいのか。過去に生きた人々は、どれほどひどく書かれても、反論することはできない。あるいは、過去に優れた業績を成し遂げながら、歴史の闇に完全に葬られてしまった人物もいる。/そうした人物に光を当て、いや、伝えなければならない、といういわば義憤のようなものが、私を評伝執筆へと駆り立てることになった。――
「歴史と人間を描く」は2010年12月から西日本新聞に連載予定だった。急死で遺された10回分と11回目予定だった[断片]が翌年5月に掲載された。
[五行空白]と(未完)の活字が悲しい。
――そして悟った。“平凡な人生”などないのだ、と。――
「人生最後の一冊」は「読書のすすめ 第12集」(岩波文庫 2008年 無料配布)に寄稿した文章。読書体験、“評伝”作品について語る。
国木田独歩は20代で名著を書いた。彼の年齢より自分は長く生きている。「百年後まで読まれる本をお前は書いているのか」と問われていると思う。「生きているうちにあと何冊の本を書けるだろうか。何人の生涯に伴走して、その評伝を本にすることができるだろうか」。
――最近、人生の残り時間が気になってきた。人間は誰も永遠には生きられない。一日生きれば、残りの人生から一日が減ったことになる。人生で読める本の冊数も、少しずつ減っていくわけだ。(略)読むべき本を読まないまま死んでいくのは、やはり悔しい。――
死期がわかれば綿密な読書計画を立て、読むべき本のリストをつくる。人生最後の一冊を考える。
――最後の一冊の最終頁を読み終えて、満ち足りた思い出この世に別れを告げる。私にはそれが最高に幸福な人生だと思える。ほかに何も望みはないが、墓碑銘にこんなふうに彫ってもらえたらうれしい。
「本を愛し、臨終の瞬間まで本をはなさなかった」と。――
装幀:間村俊一
黒岩さんのブログ「古書の森日記」は断続的ながら有志によって今も書かれている。
彼女の著作は“品切”が何点も出てきている。読み継がれてほしい。
(平野)