2014年2月17日月曜日

素湯のような話


  岩本素白 『素湯(さゆ)のような話 お菓子に散歩に骨董屋』 
早川茉莉編 ちくま文庫 900円+税

岩本素白(そはく、本名堅一、18831961)、東京府麻生生まれ。国文学者(随筆文学)。

本書は随筆、短歌、全集未収録の小説一編。

第一章   素白雑貨  言われぬ味をもった日用品

第二章   素白好み  川は、みな曲がりくね(・・)って流れている

第三章   読我書屋  何でも無駄なことの好きな私は

第四章   孤杖飄然  ふらふら家を出る

第五章   素湯のような話  話はこれだけである

第六章   滋味放浪  したくない事はしずに来た

第七章   がんぽんち  雰囲気を重んずる

〈小説〉消えた火

解説  伴悦(ばん えつ)、山本精一 

 
「素湯のような話」より

――これは正味を紙に書けば、五六行でも済んでしまう、素湯のような話なのである。然し、その時代とその町の様子を、一寸云っておかなくてはならない。

町の入口は坂になって居た。昔はいよいよここから東海道になるというダラダラ下り、土地の人も地名のように其処を坂と云って居た。……――

「少年の眼に映じた」品川の町の話。
 表通りには妓楼、引手茶屋、料理屋、それに商家がまじって並ぶ。露地を入れば裏町。芸者屋、仕立屋、荒物屋など「明るい侘しさを持った廓の裏町」。「(子どもたちは)虚偽と淫蕩と浮華と怠惰の悪徳の町の空気に浸って居た。私はこういう町でしばらく少年時代を過ごした者である」。
 少年は友だちの家=芸者屋の前で、子守をしながら張り物(洗濯の糊付け)をしている老婆の唄を聞く。芸者屋の様子も老婆の顔立ち・着衣も覚えている。

――「芸者衆がぺん(・・)、按摩さんがぴい(・・)、駕籠屋さんがほい(・・)、べんぴいほい」

 節という程のものはないが、詞にはおのずから調子があった。私はついぞ聞いたことのない、この唄ともつかず、口ずさみともつかない妙な文句が珍しく面白く、聞いて(・・・)居たのである。――

 少年は他の「年寄り達」の昔話も「記憶の底に浸みこませて居た」。幕末維新は「恐ろしい時代でもあったが、又面白い時代でもあったらしい」。吉原の芸者や芸人たちがやって来て、品川芸者はそれまでの芸だけでは追いつかなくなった。志士たちもここで「浩然の気を養った」。生首の話、出世した志士の話もあった。

――西国九州の大名は皆評判が悪くって、この土地ではただ会津の侍だけが、凛々しく立派であったという。この婆さんも、或は其時そんな昔の夢を追いながら、この珍しい口ずさみをやって居たのかも知れない。
 話はこれだけである。此処まで書いて来て、ふと思うことは、私も段々この年寄りの年に近くなって来て居るが、想い出すだけの昔の夢を持って居るのであろうか。そうして今何を口ずさめばよいのであろうか。――
 
「壺」より

 素白は戦災で家も蔵書も失った。わずかな身の回りの物だけで信濃の小さな町に疎開する。住まいの主が古い小さな火消し壺を貸してくれる。火を入れ火鉢代わりに使う。(いまこういう暮らしの習慣がない)

――素焼きの硬い壺であったが、永年使った物らしく、縁のところはもう真黒に燻って居た。それを雑巾で拭いて、ほのかに暖まった縁から肩の丸みの辺りを撫でて居ると、丁度手頃な手焙りのようで工合が良い。少し歪んで素朴なこの壷は、戦火に総てを失って流離の旅に居る私には、まことに似合いの手焙りであった。……――

 花を挿すのも良いかもしれない。12月、主に頼んで壺をもらい受け、手づくりの杖とともに東京に戻る。住まいは運良く見つかる。

――善いにつけ悪いにつけ、人生のことは思いがけぬことばかりである……――

 邸の主は美術家で良い話し相手、庭の花木を剪ってくれる。壺に挿して眺めていると、素白の心は生まれ育った裏町・露地をさまよう。

――この壷は火消し壷として台所の片すみに置かれても、或は又手焙りとして花の壺として、座敷のすみ、床の間の上に置かれても、何時もしゃん(・・・)とした静かな姿保って居る。到るところ自在にその実用美しさとを示し、所を得て居るのがこのである。……――

 どんな境地にあっても「動かない、静かな姿」を示したい、「如何なる処、如何なる物の中にも美しさと味い」を見出したい、創り出したい、と思う。

――こんなことを考えながら、本を伏せて例の杖をとって表へ出た。――

名前から、漢語だらけの難解な文章を想像していた。

 早川が素白随筆の魅力を語る。

「何でもないような話が淡々と素湯のように語られるので、さらりと心に入るのだが、やがて、じわじわ味わい深くなってゆく」
「静かな文章は美しい」

(平野)