■ 吉村智博 『かくれスポット大阪』 解放出版社 1300円+税
1965年京都市生まれ。大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員、近代都市部落史・近代寄せ場史。
文献資料だけではなく、絵図による「地理的位置関係や空間的な把握」で“差別問題”を考える。
序論 絵図にみる被差別民の世界を歩く
エリア編 道頓堀 千日前 日本橋筋 釜ヶ崎 新世界・飛田 百済・平野 北浜・太融寺 天神橋筋 舟場・北野 中津 京橋・大阪城公園
トピックス編 食肉文化と屠場 有隣小学校と徳風小学校 四ヵ所と七墓 皮産業と銀行 なにわの塔物語
補論 “大大阪”と被差別民 インナーシティから“大大阪”へ ディープ・サウス アトラクティブ・ノース 近代大阪と被差別民
あとがき
コラム なにわ人物伝
江戸時代の古地図。近世大坂は、北が天満、曽根崎、東は大坂城、南は道頓堀川、西は木津川の範囲。天満=武士の居住地、船場=商人、上町=寺院。
現在、キタといえば梅田だが、江戸時代あの場所は墓所だった。“被差別部落”に関わる、かわた村(渡辺村、皮産業)、長吏(非人村=犯罪取締の役目)、墓所(三昧聖)は“都市”の周縁部に置かれていた。この周縁部の存在がなければ“大都市・大坂”は機能しなかった。
渡辺村は、元は武士のための武具をつくる集団。平和な徳川時代になると市民生活に欠かせない皮製品(はきもの、太鼓=時間を知らせる道具)を製造した。
長吏は4ヵ所(悲田院、鳶田、道頓堀、天満)あり、奉行所の御用(捕り方、牢番、乞食・野非人の取り締まりなど)にあたった。墓所は7ヵ所(梅田、浜、葭原、蒲生、道頓堀、小橋、鳶田)、火葬場があり、そこの人々は「三昧聖」と称した。
明治になると、オールドシティの周縁部に病院、学校、屠場、塵芥処理場、監獄など隔離・収容施設、遊廓など遊興施設が作られる。鉄道の駅も。これらは「近代市民社会が必要不可欠としつつも賤視の対象とされる機能をになわされたもの」。インナーシティの誕生だ。
近代の都市機能を合理的に運用していくための都市計画に依拠しないまま、身分制社会における都市の周縁化の系譜を継承しつつ、排除と包摂の帰結として無秩序かつ無計画に、被差別部落や日雇い労働者街、さらに都市下層社会に近接するか、あるいはその内部に重層的に組み込んでいったのである。 「インナーシティから“大大阪”へ」
(平野)