■ 別冊新評『稲垣足穂の世界〈全特集〉』 新評社 昭和52年(1977)4月発行
稲垣先生のこの頃 萩原幸子 星の王子さま 澁澤龍彦
精舎の人 高橋睦郎 天狗の将来 加藤郁乎
足穂ノート 保昌正夫 稲垣足穂と谷崎潤一郎 野口武彦
松山俊太郎、巖谷國士、松岡正剛、荒俣宏……他
衣巻省三(きぬまきせいぞう)「足穂とヒコーキ野郎」より
衣巻は関西学院で足穂の一級下。作家、詩人。足穂は東京の衣巻宅に居候したこともある。
私たちは彼をタルさんと親しんでいた。今もそう呼んでいるが、彼のお父さんの方に、よりいっそうの面白さを感じていた。
足穂が父親のことをいろいろ話した。歯科医だが日暮れになると閉めてしまうとか、患者がいるのに近所のビアホールに行ってしまうとか。小学生の足穂を須磨海岸に飛行機を見に連れて行ったのも父親。
足穂は関学在学中、アメリカ人飛行機乗りスミスの助手募集に応募した。
それに応募したのはタルさん一味のヒコーキ野郎どもであった。どんな仕事かというと、滑走路まで陸上機をエッサエッサと押して行くのである。私も見物に行っていた。(略)そんな野郎どもに引き出された機の前に立った小柄なスミスは、ハンチングを逆にかぶって乗り込んだ。直ぐ着火して飛び出した。三十度の角度で昇って行くと、いきなり宙返りをやった。横転し、翼を振って見せ、垂直に昇ると又も宙返りを二度つづけた。「一度やるとくせになるんだ」とタルさんは言っていた。
関学卒業後、足穂は東京で自動車免許を取得した。飛行機学校にも入学するつもりだったが果たせなかった。仲間たちと神戸で複葉飛行機を組み立てる。有り金はたいて3ヵ月くらいかかって完成。テスト始動するが騒音と振動で近所から苦情、お巡りさんも駆けつける騒ぎになった。結局離陸できず。この失敗もあるが、足穂は強度の近眼で飛行士には向かなかった。飛行士の夢は捨てざるを得なかった。
『稲垣足穂の世界 タルホスコープ』平凡社コロナ・ブックス
◇ 【海】史(16)―2
■ 『CABIN』(その2)
86年5月31日~6月6日 ギャラリー催事「桂べかこ漫画展」
6月1日2日は「桂べかこミニ寄席」 30分の高座を全5回開演。
7月 ギャラリー催事 「海を愛する男たちに捧げる~海の浪漫展・解体船フェア」 解体する船の船具や備品
を販売。船具の他、船の絵画・版画展示販売。
9月 ギャラリー催事「フェルナンド・ボテロ 版画チャリティー展」売上げの一部をコロンビアの火山災害救援資金に寄付。版画は前年に島田がパリで買い付け。
10月 客注品入荷日数月別調査(1月~7月)
1週間入荷率 45~56% 2週間入荷率 78~86%
11月 三宮のサンパルに「古書のまち」(8店舗)オープン。書店・古書店地図の変化。元町では古書店減少。12月元町駅西口に新刊書店進出。小林自宅の最寄り駅から3km内に8軒新刊書店出現。
12月 「コウベ・ポート・ウオッチング・マップ」(神戸港を考える会、200円)完成。
海文堂オリジナル絵はがき8点(日本丸、海王丸、国際信号旗など)販売開始、80円。
12月23日第170号で一時休刊。教科書作業と支店メトロ店応援のため。メトロ店は勤務者の事情や退職などで人事が落ち着かない状態が続いていた。
1987年2月9日再開。
2月10日第172号で「売上税」反対表明。2月末をもってメトロ店閉店を発表。
業界紙「新文化」で『CABIN』紹介記事。
4月8日 第201号で休刊。気持ちのよい接客・応対について、「さりげなく、さわやかで、さっとした応対」をと、7つの注意事項を書いて終わっている。
(平野)