■ 稲垣足穂 『ライト兄弟に始まる』 徳間書店 1970年刊 絶版
装幀 亀山巌
第1章
北カロライナ州キティホーク
第2章
雲雀くらいの高さで
第3章
私のモデルプレーン
第4章
菜の花の飛行機との格闘
附録 武石道之介航海日誌
武石浩玻在米日記
武石家訪問記 松村實
足穂は飛行家の夢は断念したが、飛行家の魂はずっと持ち続けた。本書は飛行家たちへのオマージュ。
私はこの章において、少しは熱を上げてよいであろう。何故なら、ウィルバー及びオーヴィルの両ライトが、彼らの夏期休暇を利用して、北カロライナの人影稀な、荒れはてた砂浜で最初のグライダー実験をやった一九〇〇年の終りに、私は大阪の船場で生まれたのであるから。ライト兄弟の年代記の背後には、私の幼年期を中心にした、二十世紀初頭の難波の着色スライドが隠れている。……「北カロライナ州キティホーク」
大正2年(1913)5月4日、大坂城東練兵場を飛び立った複葉機は京都伏見の深草練兵場着陸寸前に墜落した。飛行士はアメリカ帰りの武石浩玻。足穂少年が須磨海岸で初めて飛行機を見た翌年のこと。
そのまた翌年、少年は神戸東郊の中学に入学。すぐに飛行機好きで有名になる。
教室の窓から六甲の山なみが見える。武石の飛行機は後日その山上を飛ぶ予定だった。少年は、あの飛行機が山上を飛んだのなら、と想像をめぐらす。少年は授業で“ひこうきの章”を読まされた時、活動弁士口調だった。級友たちの爆笑を誘ったのだった。
武石は少年の憧れであった。
当日、武石機は鳴尾から大阪に向かった。途中の野原は野の花は散り麦畑だった。そのまた翌年、少年は神戸東郊の中学に入学。すぐに飛行機好きで有名になる。
教室の窓から六甲の山なみが見える。武石の飛行機は後日その山上を飛ぶ予定だった。少年は、あの飛行機が山上を飛んだのなら、と想像をめぐらす。少年は授業で“ひこうきの章”を読まされた時、活動弁士口調だった。級友たちの爆笑を誘ったのだった。
武石は少年の憧れであった。
我が少年の日の春遠くに、大阪を経て淀川にそうて北進した飛行機を、搭乗者に舵を取り直す余裕も与えないで伏見の練兵場に突き当てたのは、実は、西宮神崎にかけて毎春豪勢な敷物をくりひろげる菜の花であった、としてもよいようであった。(略)五月の飛行機に菜たねは無理である。でも現象として菜たねは散りはてていても、そこに残留している菜の花の本質は、必ずや異種の飛行機をアタックせずにいなかったであろう。(略)私が云おうとしているのは、神崎川近ぺんに、汽車で通っても眼まいがするくらい咲き誇っている菜たねの香気と、飛行機の翼布のゴムの匂いとの軋轢なのである。「なの花や遠山鳥の尾上まで」(蕪村)の大景観の力線を上空に伸ばして、人工の巨鳥を打ち落とそうとし、機械仕掛の怪鳥は一望の菜畠を威嚇し、全面的に震撼させている。このような相互確執が、たとえば未来派的画面としてキャッチできなであろうかという迄にすぎない。……「菜の花と飛行機との格闘」
その前に一旦天王寺、GFヨウコさんのK屋訪問。神戸で見つからなかったトランスビューの本、あるかと問えば、「あります」と即答。ヨウコさんエライ!
坂崎重盛『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』(求龍堂)がちゃんと“文化史”の棚にある。ヨウコさんエライエライ! 某大書店では男性ファッションの棚だった。別の巨大書店もそうだった。【海】なら“坂崎本”と並べる。
難波に戻ってジュンク堂を目指すが道に迷う。JR難波駅の近くと聞いたので地上に線路があると思っていたら、駅は地下だった。時間ギリギリ到着。
吉村さんの講演、落語「らくだ」を枕に大阪近代都市形成史をわかりやすく解説。
終了後出版有志(いつもの呑み仲間)と再び天王寺。スタンダードブックストアあべの店で働いているアカヘルをやっつけに行く。昨年の閉店以来。私ひとりなら抱きしめているところ。アカヘルファンの皆さん、機会があれば覗いてやってください。私もまた棚を見に行きたいどえす。
それぞれのお店で買った本は後日紹介。