◇ 【海】史(22)
■ 1995.1.17 阪神・淡路大震災(1)
ここを書くのはずっとためらっていた。なるべく先に延ばしたかった。
当時の店長・小林の記述からふり返る。
17日(火) 小林はバイクで垂水から元町に。
「えーっ、行くのー」。家族の心配そうな声に送られて、バイクで海文堂書店に向かう。東の山の向こうに幾筋もの煙が見える。〈店はあるのだろうか〉という不安を抱いたまま信号のない道路や歩道を走りに走る。須磨、長田、兵庫は無残な倒壊家屋がいたるところにあり、爆撃を受けたような焼け跡が痛ましい。
(10時頃到着)通りは人影がまばらで、店は何事もなかったようにひっそりと建っていた。昨日ここにいたのに、何故か遠い昔のように感じた。
外観は、シャッターが北側に湾曲。店内、本が海のように散乱していたが、棚、レジは大丈夫だった。シャッターも手で動く。
一部老朽化している建物がほぼ無傷で残るとは奇跡としかいいようがない。
18日(水) 小林、島田と連絡がとれる。島田は17日関空近くのホテル泊。電車で西宮北口まで来て、徒歩で元町。
19日(木) 小林・福岡が全従業員に連絡。全員無事、家屋全壊2名。事務所と通路整理。
20日(金) 今後について幹部会議。電気・水道・ガス復旧のメドなし。23日から再開作業開始を決める。小林は一旦西脇の実家に帰る。
21日(土) 島田から小林に「開店準備にかかる」と急遽連絡あり、西脇から元町に15時着。福岡・早川他全6名とトーハン応援5名で懐中電灯を頼りに棚詰め作業。
22日(日) 従業員半数以上が出社。トーハン・日販の応援。
23日(月) ほぼ全員出社。棚詰め進む。
24日(火)
待っていた電気がきた。明るくなって、作業が一気に加速する。明日営業再開できる見通しとなった。疲れているが、仕事のできる嬉しさは格別だ。水道も復旧し、トイレが使えるようになった。
25日(水)
ついに営業再開。営業時間は午前十一時‐午後五時。新聞社やテレビの取材、出版社のお見舞い訪問もあって超多忙。
この日未明、店から北30mのゴミ集積場で火が出た。幸い発見が早く大事には至らず。放火とのこと。
26日(木) 店頭のウインドウに「頑張ろう神戸 私たちの町だから」墨書と、新聞の「災害関連情報」を掲示。
本屋ではもっとも早い営業再開だった。しかし、当事者には、こんな時に本を売っていていいのだろうか、という気持ちもあった。多くの方が来店してくれたことが救いだった。
売り上げ金額は25日86万円、26日135万円、27日167万円と、毎日上昇した。
小林の耳の底に残っている画家さんのことばがある。
「海文堂が残っててほんまに良かったわ。あなたたちのやってきたことが間違ってなかったから、神様が残してくれたんだね」
小林良宣「震災と海文堂書店」(『ほんまに』第15号 くとうてん)より。
つづく。
(平野)
「朝日」3月17日「声」欄。
「思い出の『海文堂』 本で再会」(兵庫県 藤本さん)
【海】の思い出、それに髙田郁さんの『美雪晴れ』で【海】のことが書かれている、などを綴ってくださる。「思い出は尽きない」と。ありがとうございます。