◇ 【海】史(20)
■ 埋蔵画家 石井一男(2)
数日後、島田はスタッフ大橋と佐野と共に石井宅を訪ねた。皆、「氏への押さえ難い好奇心にひかれ、氏の創造の秘密を解き明かす鍵」を求めて。
兵庫区の古くからの市場町。「大正時代にタイムスリップしたとしか思えない静けさ」の裏通り。中華屋の2階、6畳2間と台所。男一人所帯は意外なほど清潔。
右手の一間に座布団、絵具、イーゼル、壁にぎっしりカンバスや紙。もう一間には衣装箱に、ぎっしりと作品が詰まっている。どれもが優しい女性の顔。
……発表されることもなく、したがって、どれ一つとしてサインもなく、でも丁寧に衣装箱に秩序正しく整理された石井一男の女神たちは、はじめて見知らぬ男に凝視され恥ずかしそうにふるえている。
「一番最近の作品は?」
「まだ途中で、自信ないんですが」と唯一の家具である衣装箪笥をあけると服は一着もなく、まだ乾いていない艶やかに濡れた絵具が分厚く盛り上がったカンバスがギッシリ。石井一男の女神たち――母であり、マドンナであり、恋人であり、妹でもあり、娘でもある――が「私をもっとみて」と執拗に呼びかける。
お昼ごはんに出る。咳きこむ石井。健康の話になった。
「島田さんは死をどう考えておられますか」と質問。「なにか先が長くない予感がある」などとおっしゃる。ともかく話題を絵に戻して、今年の秋にはじめての個展をうちでやることを約束。医者にきっちりと診てもらうこと、絵に入れるサインを考えることなどを約束して別れた。/日陰に、ひっそりと美しく咲いた花を、急激に直射日光や風にさらすことなく、でもこの共感を求めている魂にはきっちりと応えてあげたいと考えている(『無愛想な蝙蝠』)
個展――。石井の耳には、自身の絵にかかわることとは思えない、まるで遠い言葉として響いた。/すごい画家の発見ですね――。帰り道、島田の耳もとで大橋はそういった。 (後藤正治『奇蹟の画家』講談社)
後藤が島田と石井の出会いについて書いている。
「インフォメーション」に記された言葉に導かれるように石井は画廊に電話をし、その画廊主が“普通の画商”ではなかったことによって一人の無名画家が世に出る契機が生まれた。埋もれた画家の発掘はいくつかの偶然が重なっているが、振り返っていえば、画家と画廊主は出会うべくして出会ったように思える。 (後藤、前掲書)
(平野)