2014年3月4日火曜日

街場の五輪論


 内田樹 小田嶋隆 平川克美

『街場の五輪論』 朝日新聞出版 1200円+税

 
無言の同調圧力というものがある。

 確か、オリンピック東京開催が決まるまでは、「オリンピックどころではない」という意見が聞こえていた。決まったとたん、メディアもオリンピック一色。

「そんなことを言っても、いまさら始まらない」という無力感と世論の中で孤立して無用のバッシングを浴びたくないという恐怖心が、五輪問題についての「そんな話、オレは知らんよ」というシニカルな態度を導き出しているということはないだろうか。(孤立しても嫌われても)誰かがこの面倒な仕事を引き受けなければならないという確信は揺るがない。日本の社会では、どのような論権についても無直管や恐怖感を感じることなく、自分の意見を述べる権利が保障されているということを公的に確認するために、どんなに賛同者の少ない少数意見であっても、一応(・・)言って(・・・)みる(・・)というのはたいせつなことである。……
 
 
反対と語る人があまりいないという言論状況が問題。物書きとして「炭坑のカナリヤ」の役目を引き受ける。

……プレゼンテーションって、イヤ!

日本人は本来、口下手、アピール下手。

「(原発事故は)アンダーコントロール」の嘘に加担したくない。

今回の東京五輪が胡散臭いのは、それが金儲けという文脈になってしまったこと。
……

 古代ローマの詩人、ユウェナリスは『風刺詩集』のなかで、大衆が熱心に求めているものはパンとサーカスだけだと皮肉りました。当今の日本の世相を見ていると、まさに熱心にパン(経済)とサーカス(娯楽)だけが関心事であり、それ以外のことを考える人間は異分子であるかのような風潮を感じます。

プロローグ 「炭坑のカナリア」が鳴き止んだら

第1章 二〇二〇年、東京五輪開催  嬉しい人、憂鬱な人

第2章 ニッポン、チャチャチャ 熱狂の変質  国威発揚から商業主義へ

第3章 グローバル化とカネの話  政治的圧力より経済的圧力

コラム 「五輪の爪」の裏側

第4章 福島への視線  言葉じりから漏れる本音

第5章 消費税も戦争も  求める日本人像はヤンキーか

エピローグ 何故わたしたちは、国民的祝祭に異を唱えるのか

(平野)