◇ 【海】史(22)
■ 阪神・淡路大震災 1995.1.17(4)
島田の記録。
1月19日(金) 新聞は死者3000人と報道。テレビは三宮が火事と叫んでいる。
徒歩で元町、2時間かかる。小林店長、福岡副店長が従業員安否確認。連絡がとれない者3名ほど。電気・ガス・水道不通、復旧のメドなし。主要取引先に無事の報告。事務所、通路など整理。午後3時退社。
1月20日(土) 死者・不明者4200人の報道。
全従業員の無事確認。家屋全壊2名。営業再開について協議。ライフライン復旧のメドが立つまで待機、23日作業開始と指示。
湊川に住む画家・石井一男を訪ねる。避難所で再会。
母親宅、一見無事だが、石垣が危険。
店の安全確認を進め、事務所、作業場、食堂の片付け。売場、本の海の中、通路確保。
商店街、安全対策協議。連絡がとれる店主にガス元栓を切ること、通電時の安全確認を伝達。
京都下宿の次男がバイクで応援に。通勤は彼のバイクに相乗り。
1月21日(日) 死者・不明者5000人超。
商店街の復旧工事が進んでいる。トーハン神戸支店長から、復旧応援派遣の申し出で。
お客様から無事確認の電話が入り始める。在庫の問い合わせ、注文も。特に、学習参考書、地図。
生き残った店の責任として一人でも待ちかねているお客様があるなら全力で一日でも早く店を再開するのが当然と思い至った。
急遽、幹部スタッフに開店準備指示。小林は西脇から、福岡は姫路から長時間かけて出勤。とりあえず近くの社員に招集をかけ、懐中電灯三十本を用意して暗がりで作業開始。再会を喜び合い、体験を話しあう。午後四時作業終了。徒歩や自転車での通勤、家庭のことなどを考えると遅くまで無理はさせられない。
それにしても、この本の海の整理には何日かかるのか。
1月22日(月) 余震続く。従業員の半数以上が出勤。10時から16時まで作業。
作業するにもトイレの確保、水の確保、食料の確保が問題である。トイレは近くの避難所でもある“まちづくり会館”へ走ることとし、水はペットボトルを、食料はパンやインスタント食品。携帯用コンロを持ち込む。
ともかく二十五日には営業再開しようと檄をとばす。
関西電力に復旧見通しを訊ねるが、順次努力中の答え。無理はわかっている。
暗闇の中で、心配をいただいている出版社の皆さんへ、状況の説明と、再開への決意をしたためてFAXで送信。ただ営業再開するだけでなく被災者、とりわけ子どもさんたちへ手を差し伸べようと、文具を手配。出版社へも協力を依頼。
■ 須飼秀和「帰りたい 私だけのふるさと」原画展
3月22日(土)~4月2日(水) ギャラリー島田
須飼は、毎日新聞「帰りたい 私だけのふるさと」(2008~2012、全205回)の挿絵担当。