2014年3月20日木曜日

【海】史 1995.1.17(3)


 【海】史(22

 阪神・淡路大震災 1995.1.173

島田の記録から。
18日(木) 荷物をホテルに預かってもらい、JRで大阪。
普段どおりの都市生活に「自分のあまりにも切迫した気持ちとの乖離を感じる」。
阪急電車に乗り換え西宮北口。「西宮へ近づくにつれて、車窓からの無残な風景にショックを受ける」。
850分元町に向かって歩き始める。

 私たちのほかにも、明らかに被災地に向かう人々の姿がみえる。道路は至る所で危険な状態。堅牢そうな建物が傾いたり、崩れたり、古い建物は無残にぺしゃんこである。
 延々と続く光景は言語を絶している。この一つひとつの家に一つひとつのかけがえのない歴史があると思うと暗然たる気持ちになり足も重い。

あちこちで通行止め、迂回。30分歩いて5分休憩、おみやげのつもりだったチーズを齧りながら歩く。昼になるがまだ住吉にも着かない。店に電話をしたいが、公衆電話は長い列。小雨。

 家人は、つい黙り込み暗い想像に落ち込む私を叱咤し、歌でも歌ったらという。昔は歌がうまかったと自慢していたのなら、こんな時こそ歌を口ずさみながら歩けと「雨に唄えば」を歌いはじめる。

夫を励ます冗談。
つぶれた商店街で、豆腐屋さんが「自由にお持ち下さい」と商品を並べている。「水が使えます」の張り紙もある。三宮に近づくと人波は消え、「死の町に足を踏み入れたような不気味さ」。JR三ノ宮駅前のプランタンは営業、呼び込みをしているが人はまばら。新聞会館、そごう、交通センタービルなど壊れている。センター街はアーケードが落下。市役所もダイエーも壊れている。午後2時半過ぎ。

 大きく損傷した大丸に心傷めながらたどり着いた元町商店街は、西宮、芦屋、東灘、灘、三宮と最悪の激震地を歩いてきた目には別世界のような穏やかさで残っていた。
 ほとんど走るようにして近づき、健気にもすくっと立っている我が店を眺めた時には感動に身が震える思いがした。

店内は本の海。ギャラリーは絵が散乱しガラスが飛び散っていた。
専務が用意してくれていたお茶とおにぎりを食べ、3時半過ぎ須磨の自宅に向かう。やはり見慣れた町並みが破壊されてしまっている。

 焼失直後の熱を帯びた燻り状態で、チロチロと赤い火すら見えていた。
 全てが暮れかかる日差しのなかで現実のものと見えず、現実と信じようとすると途方もない徒労感に打ちのめされ、もう立ち直れないような気分に落ち込む。

 午後6時自宅着。



イラスト・Graham Clark

(平野)