■ 稲垣足穂 『びっくりしたお父さん』 人間と歴史社 1991年刊
解説 高橋康雄 造本・装幀 戸田ツトム+岡孝治
装画 まりの・るうにい
『新青年』発表作品を中心にした怪奇ファンタジー集。
童話の天文学者 壜詰対談 父の不思議 蘇迷盧 出発 びっくりしたお父さん リビアの月夜 電気の敵 ココァ山奇談 真面目な相談 ……
『びっくりしたお父さん――或いは「僕もそう思います」』は『新青年』1931年(昭和6)3月号に発表。
私はおとなしい紳士と山道を登っていた。途中ちょっと休む。紳士が話し出す。
「ねえ、あすこに灰色の館が見えるでしょう。」
紳士は前に友人に連れられて来たことがある。フカという人の父親(鱶汽船会社社長)の別荘。夏の夜のこと、そこで船火事があった。
山の上で船が火事?
「こう言うとあなたは驚きになるかも知れませんが、僕が言うのは、あの場所から海を見下ろしたのではなく、海があそこまで引き込まれてあって、その引き込まれた海に浮かんでいたヨットなのです。……」
とんでもない! と私は云い出すところであった。下の方に青い帯になって見える海が、この高いところまで引っぱりあげられるはずがあるものか。
フカの妹の葬式。楽団の演奏、花だらけの舞台に柩。フカが黒い服に眼のまわりを白くぬって、人形の頭をなでながら音楽に合わせて妹のためにコトバを発する。紳士は、はじめは笑いそうになるが、しだいに眼が熱くなってくる。しかし、こぼれそうになった涙がこぼれなかったのは、フカがなでているのは人形ではないとわかったから。妹の死骸。
僕は一番近くであったからハッキリと見ました。フカの手になであげられて髪にかくされていたその顔がみえましたが、それは紅や緑でいろどられてあったもののもう半ばは骸骨になっているのでした。
やがて舞踏会になるが、妹の骸はそのまま。
どういうわけか紳士のお父さんが現われる。お父さんが桟橋で船が燃えているのを発見する。火は館に燃え移り、黒煙がうずまく。紅い衣の骸骨とお父さんと鉢合わせしそうになる。
とたんにお父さんはジャンピングの選手のように骸骨の上をとび越えて、よろよろとこちらへよろけてくるなり、僕の両腕をつかまえてへたばってしまったのです。
私が感想を述べる。
『お話は大そう面白くうかがいました。』
危うく風に吹き落とされそうになった帽子をおさえて私は云った。『しかしあの館は火葬場ではなかったでしょうか。どうもむかしからそうであったように思いますが。』『むかしからそうであると僕も思います。』
と、その花を胸にさした紳士は、そこからわき出して、あたまの上の方までひろがりつつある黒いけむりを見ながら答えた。
(平野)