◇ 【海】史(18)
■ 1989年7月 島田誠手術
同年2月頃から島田は指先が冷たくなる感じを覚えた。春になって少し「痺れる」感覚になった。島田は健康には自信があったが、主治医に相談。中央市民病院脳神経科で検査を受けた。
7月7日検査、10日診断。脊椎を“腫瘍”が侵蝕していた。いつ四肢の麻痺、呼吸不全が起こってもおかしくない状況。17日入院、27日手術。
文字どおり、まな板の鯉ならぬ鮪。朝九時に裸で鮪のように手術台にころがされて、麻酔をかいで一瞬で気を失い、気が付いたら集中治療室の中。先生の顔がみえた。……
6時間余りの手術。麻酔は完全にさめてしまってねむれない。一晩中治療室の様子を眺めていた。
入院前、会社のデスクを整理、書きためていた詩、短歌、その他の原稿を処分。子どもたちに「もしものことがあっても、自分たちの力で……」と言いおいた。このような事態を予想もせず、雑誌に「夭逝」をテーマに随筆を発表してしまっている。「いまさらぶざまな様子を見せられない」。
こんな大口を叩く奴ほどいざとなると、からっきし意気地がないということはよくある。おしっこをちびりそうになるほど恐怖にかられるとか、気分的に落ち込むとか……、今回に限りという条件付きで言えば、すべて平常心で受け入れることができた。
入院期間中、音楽と読書で過ごした。
復帰にあたり、「すべての人に心から感謝いたします」と書く。
このことはぼくの今後の人生の生きざまとしてはっきりと表れてこないといけないと考えます。 (『無愛想な蝙蝠』より)
言葉どおり、島田の活動は、本屋・ギャラリー・商店街の枠を越えて広がっていく。
【海】ポストカード発見。(上)西村功「海文堂の本屋」、(下)安田泰幸「海文堂」。
(平野)