◇ 【海】史(23)
■ アート・エイド・神戸(1)
2月になって、島田は取引各社に礼状を書いた。支援・見舞いに感謝するとともに、営業再開の喜びと今後の心構えを述べている。
……交通機関の途絶したなか、従業員一同「書店を守れ」と、困難と闘いながらの毎日でございます。未曾有の災厄のなか、それぞれが大きな問題を抱えたなかで仕事に励んでおり、この体験が私たちを強く、大きく鍛えてくれたのではないかと考えています。(略)
人のためになにかしてあげられることはないか。書店という仕事を通じて地域社会に貢献できる道はないか。勿論、今までも努力してきたことですが、今まで以上にその姿勢が問われていることは間違いありません。第一段階としては、いち早い営業再開により「明るい灯火を掲げる」こと。
第二段階は「学童に文具を贈ろう」という運動に取組んでまいりました。今、この運動は兵庫トーハン会の青年部が引き継いでくれました。
震災から三週間、今は第三段階として、神戸の文化の灯を消すなという「アート・エイド・神戸」という運動の中核として活動する準備を進めています。
幸いにも生き残った商店街として元町が活況を呈しており営業は順調に推移しております。
皆様の物(本の流通)、心両面での暖かいご支援が私たちを励まし、勇気づけ、私たちが元気になることが又、被災された皆さんを励まし、勇気づけられることになります。(略)
平成7年2月10日 株式会社海文堂書店 代表取締役 島田誠 (以下店長他従業員一同)
震災から1ヵ月、「アート・エイド・神戸」が立ち上がる。
生き残った感謝を込めて真剣に自分たちで役に立つことを探していた私のところへ、画家の菅原洸人先生をはじめとする芸術家が、海文堂書店の無事を聞いて駆けつけてくれ、自分たちでできることがないか、と相談を受けた。……
音楽家、文学者からも申し出もあった。海文堂(本屋と画廊)経営、趣味の音楽、さらに「亀井純子文化基金」事務局など、島田の人との繋がりが“形”になりそうだ。
芸術全般で実行委員会を組織することに。伊勢田史郎(詩人)を委員長に、音楽家、美術家と島田(事務局長)で6名の委員会。会計監事を置き、文学・美術・音楽部門でそれぞれ呼びかけ人を頼んだ。事務局は【海】。「アート・エイド・神戸」の名称は、「神戸の文化を自分たちの手で守るという決意と、芸術家自身も神戸の復興のために力を結集するという願い」を込めて。
船出は、順風満帆ではなかった。
……被災地では「芸術どころではない」「歌舞音曲は禁止」の風潮が満ち満ちていた。芸術家自身も被災している。チャリティーはしないという立場もあった。
ともかく二月十五日に趣意書を書き上げて、役員就任を要請。十八日、未だ交通機関の途絶したなか、ある人はバイクで、ある人は代替バスと徒歩で、長い時間かけて海文堂ギャラリーへと集まった。