◇ 【海】史(22)
■ 1995.1.17 阪神・淡路大震災(2)
島田社長は1月6日ヨーロッパに旅立つ。毎年この頃に海外出張。
今年は、我が書店と画廊の生き残りをかけて、ヨーロッパの専門書店を訪ね、フランスとロンドンで知り合いの画家七人と会い、個展の約束をとりつける目的であった。
地震のニュースを聞いたのは、17日午後5時頃、乗り換えの韓国金浦空港。電話の列に並ぶ。順番がようやくきて店に電話するが誰も出ない。地震で早仕舞いしたのか?
一瞬、誰も居ない不気味な店内が瞼に浮かび不安になる。そのうち「長田、兵庫は火の海だ。三宮も崩壊している」と声が聞こえて、気持ちはパニックに陥る。
再度電話に走るが、誰にも繋がらない。
膨れ上がってくる不安に青ざめながら再び機上の人となる。
機内で配られた韓国の新聞の写真で、生田神社の本殿がぺしゃんこになり、高速道路が横転し、火災の煙が上がる長田の状況を知り、ようやく事態が飲み込めてくる。
「悪い夢、冗談」と思い込みたい「逃げ道」が閉ざされた。店の前で呆然とする自分の姿が思い浮かぶ。社員の無事、会社の無事を祈るしかない。
一緒にいた夫人によれば、この時の島田は、「顔面蒼白、目は空ろ、いっぺんに年を取ったよう」だった。島田の頭の中は、「会社を一からやりなおせるか?」になっていた。
こうなると女性の方が、肝が太い。「起きてしまったことは仕方がない。覚悟を決めましょ」と、のたまう。三宮がこんな状態なら、もっと老朽化した元町は、ひとたまりもなかっただろう。
地獄を覗いているような焦燥感にかられながら関西空港へ到着。
午後8時半、対岸の神戸の空は火事で赤らんで見える。パスポートチェックも税関も住所が神戸だと確認するとフリーパスだった。電話に飛びつくが、連絡不能。
東京の姉と長男に電話する。元町はテレビにあまり映らないので被害は少ないかもしれないこと、長田に住む母親は次姉が保護したこと、須磨の自宅は長男の友人が無事を確認してくれたことなどがわかった。空港のテレビからは、悲惨な映像が流れ続けている。神戸への交通機関はストップしている。その日は近くのビジネスホテルに泊まることができた。
電話が専務とようやく繋がった。彼は垂水から歩いて元町にたどり着いていた。会社の建物が無事であること、すぐ南側の銀行は崩れたことなど報告があった。
不気味に救急車のサイレンがなり止まぬ廃墟のような神戸の姿に、テレビから目を離せぬまま少しまどろんで午前五時、活動開始。
島田誠『蝙蝠、赤信号を渡る』(神戸新聞総合出版センター)より。
(平野)
◇ヨソサマのイベント
整理券が必要です。お問合わせは 電話 06-4963-8558 まで。
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■ 髙田郁サイン会
3月30日(日) 午後2時より 喜久屋書店東急ハンズ心斎橋店
整理券が必要です。お問合わせは 電話 06-4963-8558 まで。