2014年3月14日金曜日

仙台学vol.15(4)


 『仙台学 vol.15』(4

震を描き 災を想う 東日本大震災3年目の作家たち

生と死を刻む  佐伯一麦

 1959年仙台市生まれ、在住。

『還れぬ家』(新潮社 2300円+税)は父親の介護を描いた私小説だった。しかし、東日本大震災を経験して連載中断。「時間の断絶」を経て、話に入る。震災後、「文学の言葉がなかなか出てこない」。

 最後まで書き切りたいと強く思ったのは、敗北感みたいなものがあったからです。

 長期連載中、自分や周辺の人たちの病や死も起こるし、地震の確率予測もあった。心構えはあった。

でも、あそこまで大変なことが起こるとはとても予想できなかった。連載小説を書いていながら書ききれなかった。それはやはり作家としての敗北です。
 敗北感は最後まで書き終えることによってしかぬぐえない。小説は自分のためだけに書くものではありません。誰のためかと問われると難しいけれど、でも何者かに対して最後まで書く責任がある。未完では絶対に終わらせたくなかった。


 短編集『光の闇』(扶桑社 1600円+税)も震災を挟んで書かれた。五感や身体に欠損を持つ方たちに会って話を聞いた。

 聴こえない人は視覚的表現にすぐれるとか、目が見えない人は聴覚が鋭くなるとか、よく単純に想像しがちです。でもそうではない。障害を持つ人はその人なりの日常を生きているんです。病気や怪我で何かを失ったものを抱えながら生きていく姿を書きたいと思いました。

 視覚障害学校の弁論大会で、震災体験の話が多いだろうと思っていたら、全員が視覚を失った体験を話した。

 若い彼らは震災に相当するほど大きな衝撃を、すでに視覚を失うという形で経験していた。震災によってみんな大切なものを失ったけども、彼らは喪失という点で先人です。そのあり様からもいろいろ教えられました。

 佐伯も電気工時代にアスベストで肺を病んでいる。仲間たちが命を落としていくのを見てきた。

 小説を書く以上、生と死についてずっと考えてきました。震災があろうがなかろうが、それは常に心のうちにある。もとをただせば、言葉とは生と死を分かつところから生まれ、それを知らせるために何かに刻んできたものですから。

 最新刊『渡良瀬』(岩波書店 2200円+税)は雑誌終刊によって18年中断していたもの。アスベスト禍によって電気工として働けなくなり、よその土地に移って工場に勤めるところから始まる長編小説。震災体験で小説世界も変化せざるを得ない。

……言葉というのはやはり一文一文、一語一語を「刻み付ける」という感覚が強い。前にも増して、流した書き方はできなくなっています。

(平野)
 みずのわ出版柳原社主から、コーべブックスの先輩・松本博さんが221日頃に亡くなったとの知らせ。心筋梗塞。社主も数日前、松本氏の弟さんからの連絡で知った由。
 新米時代からついこの間まで、会えば「○○読んだか?」と問われました。劣等生の私はいつも恥ずかしかったものです。大西巨人『神聖喜劇』を教えてくれたのも彼でした。

1980年、小林良宣さん、元正章さんと『神戸図書ガイド』を作成されました。
 ご冥福を祈るのみです。
 俳句もやってはりました。

春嵐や酒呑童子が蹴っ飛ばす (平)