2013年10月27日日曜日

辞書の仕事


■ 増井元(はじめ) 『辞書の仕事』 岩波新書 760円+税 

 編集の仕事でも、文芸書やファッション雑誌、カルチャー誌は目立つ存在でしょう。

 著者は岩波書店の元辞典編集部長。2008年退任。『広辞苑』『岩波国語辞典』編集の他、「辞典編集部」編の本で執筆。

「辞典編集者になりますか」より。

 

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編集の仕事の中でも、雑誌や単行本の編集を希望する人は多いのに、辞典の編集というのはちょっとぴんと来ない、というふうに受け取られています。少なくとも辞典の職場で過ごした約三〇年間に、是非とも辞典の仕事がしたくて志願してやってきた、と公言する人にはでありませんでした。
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他の編集についた人なら、「努力の結果」が「本」という形で出る。しかし、辞典刊行には時間がかかる。途中で異動があるかもしれない。

 

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すぐに自分の思い通りにならなくても、気を長く持って毎日の仕事をこなしてゆく、これが自分の仕事だと思えるようないと勤まりません。世間にはそういう仕事はいくらでも普通にあって、辞典編集者が特別だというものでもないでしょう。仕事の中身も、格別に頭をくるくる忙しく働かせるよりは、いつも目の前の記述についてこれで良いのかと確認を重ねて進めてゆく、そんな仕事です。
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 原稿だけが仕事ではない。事務の側面が重要。編著者はもちろん印刷屋さん、紙屋さんとのやりとり、費用について経営者との折衝、広告・宣伝、書店への販促、それに読者からの意見・質問や苦情に対応。

 

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大事なことは、これは資格というか資質というか、ことばに対する興味・関心を強く抱いている、抱き続けてゆける、そういう人でないと仕事自体がつまらないでしょう。
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辞典編集者としての前提・条件をあげる。

(1)  ことばに対して強い関心を持っていること。

 当然本が好きで読書量が多いだろうが、可能な限り多種類の日本語に大量にふれていることが大事。エンターテインメント系小説、謹製・近代の小説・随筆、明治・大正・昭和初期の風俗やその時代の自伝、落語、講談など。

(2)  日常使っていることばの使用例を可能な限り多数想起できること。

 ひとつのことばについて多くの異なる用例を収集。

(3)  現代日本語表記についてのルールを理解していること。

 常用漢字、旧字、異体字、音訓、画数、筆順、送り仮名、仮名遣い、外来語。さらにそのルールについての問題点について考えていること。

 

第一章 辞典の楽しみ  無人島の辞書 辞書で遊ぶ 辞書かがみ論 ……

第二章 ことばの周辺  駆け出しの辞典編集者 「ゴリラのような奴」とは 「甘酒」は夏の季語? ……

第三章 辞典の仕組み  「見出し」の悩み 解説のある場所へ 「幸せ」のない辞典 ……

第四章 辞典編集者になりますか  辞書の文体 不適切な用例 ……

第五章 辞典の宇宙へ  辞典の紙 手描きの挿画がなぜよいか 辞典、各社各様 ……

 

 地道な作業、辞典作りならではのドラマなど、辞典一筋30年のエピソードの数々。

『広辞苑』は累計1千万部販売の中型国語辞典。文筆家が言葉の説明をするのに、「広辞苑によれば~」「広辞苑には載っていないが~」とよく引き合いに出す。

 川柳に、

 人の世や嗚呼ではじまる広辞苑 (橘高薫風 きつたかくんぷう)

 とあるそう。

 ただ、『広辞苑』の最初の見出しは「あ」。

 

 刊行した後の点検・修正がある。編集スタッフだけの検討に読者からの意見も結集できる。改訂という作業がすぐに始まる。読者からこのことばをいれてほしいということもある。

 ある読者が地元の歴史的事項についてその重要性を改訂のたびに説明してくる。編集部もそのたびに議論し検討する。その事項が最新の第六版で収録されたのだが、その読者は既に亡くなっておられた。最初の手紙から20年の歳月が経っていたそう。
 
(平野)