2014年8月28日木曜日

足立巻一「親友記」


 足立巻一 『親友記』 新潮社 19842月刊

装幀 早川良雄

 足立(19131985)は生まれてすぐに父親を亡くし、母親は再婚、祖父母に育てられた。東京を転々とし、祖母が死ぬと祖父と長崎まで行き、その祖父も死に、親戚の家々で養われた。友だちができる機会がなかった。神戸の伯父の家に落ち着いたのは9歳の時、大正11年(1922)夏。

 伯父の家は生田神社の東門を出た道に面して、〈とらや〉という薬局を営み、大きな張り子の虎を看板に掲げ、かなり繁昌していた。西洋人や中国人の客も多かった。
 藤吉の家は、その薬局と背中あわせになっている路地の裏長屋の一軒であった。そこに藤吉は幼い弟と妹との世話をしながら住んでいた。母は早く亡くなり、父は船乗りということであった。
「ぼく、藤吉さん」
 はじめて会ったとき、藤吉はそう名乗った。……

 この「藤吉さん」と生涯の友となる。
 藤吉とは写生に行ったり、チャンバラ遊び。足立はよくいじめた。5年生になると自転車屋の一鶴(のちの俳号)、インバイ屋の成夫も加わり、生田神社で相撲したり、チャンバラ。一鶴の部屋を根城に「立川文庫」を読みふける。「性」の興味も。
 小学校を卒業して進路は分かれるが、また集まるようになる。
 足立は中学でも友だちができる。美大志望の光麿、文学好きの粕渕、演劇にくわしい草津ら。文学・芸術に傾倒し古本屋通い。
 藤吉、一鶴らも芝居が好きで劇団結成。足立は大学進学希望だが、学業よりも詩歌投稿に熱中。投稿常連の歌人・詩人らと、ついには同人誌を出す。藤吉、一鶴も加わる。昭和6年(1931)短歌『あさなぎ』、翌年、詩の『青騎兵』。

『あさなぎ』の仲間・月井が詩の雑誌を出そうと誘う。
 月井は誌名を考え、序詩も書いていた。『青騎兵』、ペンネーム「亜騎保」。同人は、『あさなぎ』の丘本冬哉(古本屋・博行堂書店)、岬弦三、九鬼次郎、一鶴。

 世の中は重苦しい。昭和6年「満洲事変」、昭和7年「上海事変」「五・一五事件」……
 昭和9年、足立は伊勢の皇学館大学進学。卒業後応召。
 昭和15年「神戸詩人事件」。『青騎兵』の仲間だった亜騎、岬らのグループ(『神戸詩人』同人)が共産主義につながっていると検挙された。亜騎は超現実主義、岬は人生派で、共産主義云々とは無関係。デッチ上げ事件だった。

 敗戦後、足立は商業高校で教師。詩人仲間・大弓と偶然会う。詩人たちが集まっている古本屋に案内される。小林武雄、八木猛、亜騎がいた。亜騎は足立、岬、藤吉と連絡を取るために文章を書いていた。

《噫、今に至るも行方が判らない。人生のほんのカキ傷を残しただけで消えてしまつたとは考へられない。どこかで歌つてゐるのに違ひない。さう信じることは私にランプのやうなぬくもりを感じさせる。
 消息を知らせよ。生きてゐる形体を表示せよ。(死んだのぢやあるまいナ)
 一刻も早く語れ。
 私の手は、上へ向いてゐる。》
 一読して鼻孔を刺激するものを感じた。

 昭和219月、『火の鳥』創刊号発行。富田砕花、竹中郁、能登秀夫、井上靖の名が並ぶ。中心になったのは「神戸詩人事件」に関わった小林・亜騎らだった。
(平野)