2014年11月16日日曜日

陽気な客


 「陽気な客」 山本周五郎の神戸

「陽気な客」は『つゆのひぬま』新潮文庫所収。

 周五郎の神戸時代を題材にしている。
 
 周五郎は友人(語り手・おれ)と呑んでいる。彼に[仲井天青]という人物が死んだと聞かされるが、周五郎には心当たりがない。昔劇団を主宰していた人で、[おれ]が神戸の出版社で働いていた時の同僚。
 
 その出版社というのは、「神戸夜話社という怪しげな雑誌社」。

 その社は元町通りと栄町の電車通りをつなぐ狭い横丁の喫茶店の二階にあった。もちろん古い木造の日本建築で、表に面した六帖二間をぶっとおして、古畳の上に机と椅子を並べたのが編集室なんだった。……

 そこの主筆が仲井。

……初めて社長に紹介されたとき、彼はねじり鉢巻をして椅子の上にあぐらをかいて、その椅子の右側に一升壜を置いて、そいつを湯呑み茶碗に注いで、ぐいぐい飲みながら原稿を書いていた。……実になんといったらいいか、要するにそんなふうに編集所にはぴったりし過ぎて却って不自然なくらい傍若無人なようすだった。
「ふん、君も東京の落人か、ふん」
 そのとき彼はこう云ってにやっと笑った。いい顔なんだ、実にいい顔なんだ。ちかごろの里見弴の顔をもう少しばかりしけ(、、)させて苦痛と頽廃の薬味を加えればいいかもしれない。彫りの深い、眼のぎろりとした、とにかくただものでない顔なんだ。……

 社長と妻がもめてケンカ。仕事にならない。仲井と[おれ]は居酒屋に。

 そこでおれたちは飲みだしたのさ。主筆はコップであざやかにくっくっと飲む、乱暴なんだが少しも乱暴のようにはみえない。左手の肱を台について指先で頭を押え、右の肩をおとして少し斜に構えた姿勢なども風格的なんだ。酔いがまわりだすとあのぎろりとした眼が熱を帯びたようになって、いよいよただものでないという感じが強くなった。
「うんそうか、文学をやるのか、よかろう」
「いや、そんな、文学なんていう、そんなその」
「てれるなよみっともない、文学なんてそんなにてれるほどたいしたもんじゃない、おれは魚屋をやる、おれは八百屋になる、……おんなじこった、てれたり恥ずかしがったりする意味なんかちっともありやしない、さあ、きみの文学のために乾杯しよう」

 酔っ払った仲井が尋ねる。いつから自分を「仲井天青」と見抜いていたのか、と。
[おれ]は「仲井天青」を知らないから当惑するが、彼のプライドを考えて「狡猾にたちまわった」。仲井は、かつて文壇でその作品を認められ劇団を主宰したこともあった、と愚痴をこぼす。東京で妻が待っている、と。
 雑誌社は不振、[おれ]の給料は飲み屋と弁当屋の支払いで赤字。仲井は前借りまでしている。ある給料日、[おれ]と仲井はクビを言い渡される。仲井は社長に憐れみを乞うが、にやにや笑っている。[おれ]は社長を張り倒し、仲井は押し倒す。一緒に飲みに行く。しこたま飲んで、仲井は家には帰れないと言う。妻が来ているはずと。彼が社長にすがったのは妻を呼び寄せる算段をしていたからだった。

「ぼくはきみに対しても恥ずかしい、冷汗が出てならない」
――――
「芸術だとか野心だとか、ひとの作品を罵倒し、人を嘲り、笑いとばし、われらの時代だ旗を揚げようだの、……嘘っぱちだ、(略)ぼくはぼくの才能によって墜ちるところへ墜ちて来たのさ……(略)

「きみはこれを機会に東京へ帰ってくれたまえ、そして、しっかりやってくれたまえ」
 天青は別れるときおれの手をぐっと握った。
「決して安きについたり投げた気持になっちゃいけない、どっちにしたって人生は苦しいもんだ、苦しむんなら自分のほんもので苦しむべきなんだよ、……じゃあさよなら、さよなら、頼むからぼくのことは忘れてくれたまえ」

 木村久邇典『山本周五郎の須磨』によると、[仲井]と[おれ=陽気な客]は周五郎を含む実在の人物複数を合成。
(平野)