2015年9月29日火曜日

青玉獅子香炉 柊の館


 陳舜臣 「青玉獅子香炉」 「柊の館」 

図書館で借りた『陳舜臣全集』第19巻と第23巻から。

「青玉獅子香炉」 初出「別冊文藝春秋」19689月号、69年文藝春秋から単行本、同年直木賞受賞。
 美術品の真贋をテーマにした作品。殺人事件は起こらない。
1912年、辛亥革命で宣統帝(愛新覚羅溥儀)は退位したが、紫禁城内に住むことは許されていた。軍閥が割拠し不安定な政治状況のなか、24年溥儀は城を去る。翌25年、城内の宝物を管理保管・公開を目的とする博物館「故宮博物院」が設立される。
 中華民国成立後、宮廷官僚たちは家宝を手放す。城の宝物を秘かに売る者もいた。溥儀から宝物の点検命令が出て、発覚を恐れた宦官が職人・王に贋作を依頼する。王はとっておきの玉石で作ることを約束するが、脳溢血で倒れ、弟子の李に任せる。王の亡き息子の妻・素英の励ましで、李は「開眼」。見事な「青玉獅子香炉」が完成する。李は素英の同僚の紹介で故宮の宝物の整理をする委員会に勤める。日中戦争激化に伴い、宝物は疎開、中国各地を放浪。李も同行するが、自分の香炉を見ることはできない、香炉のことしか考えられない。香炉が入っている荷に印をつけ、常に安全な場所に運ばれるようにする。戦争が終わっても国共内戦。49年、ついに宝物は台湾に送られる。いよいよ箱が開かれ、17年ぶりの対面。しかし、香炉は別の模造品とすり替えられていた。いつ、どこで、誰が? 自らが作った贋作と行動を共にしてきた李。香炉を再び手に取ることができるのか?

「柊の館」 初出「婦人画報」1971年~72年、単行本は73年講談社。
 神戸北野町、イギリスの船会社が宿舎に使っている異人館屋敷。敷地内に「とんがり屋敷」と呼ばれる副支配人の住まい、独身者のための古い建物、メイドルームと台所を兼ねた平屋がある。庭には柊の木が植えられている。
 メイドの責任者・富子が若いメイドたちに昔話をする。1925(大正14)年に富子は17歳、同郷のメイドの紹介で奉公に来た。
 宿舎内や近所で暴力事件や殺人事件が起きる。解決した事件もあれば未解決もある。新任の支配人が披露するユーモラスな話もある。イギリス人社員が情報将校だったこと、逆に日本側のスパイが宿舎に潜入していたことも。最後に、未解決だった殺人事件の真相が明かされる。
 
 両作品とも戦争が大きな影を落としている。

(平野)

 ヨソサマのイベント

 成田一徹切り絵展今よみがえる港町神戸の原風景
9.2910.12
神戸市役所1号館2階市民ギャラリー
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