2016年2月13日土曜日

誤読は承知


 誤読は承知

年始からの読書で私が受け取ったこと。

 ルネサンスの芸術家たちを「変人」のキーワードで解説した本『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(紹介ずみ)で、著者は、彼らが宗教的権威に対して「人間」を考えたこと、そして考える過程で「本質的な思考」が生まれること、を繰り返し言う。日本に欠けているのは「ルネサンスを育んだ懐疑的な精神」だと。

……一つの疑問が糸口のほつれとなり、これまでなにも疑問に思わず、考えずにいたものまでが、次々にほつれていきます。ルネサンスとは、その「ほつれ」を、この時代の人が自分なりの論理で「繕い直し」ていく過程だったと私は考えています。(後略)》

 筒井康隆『モナドの領域』(新潮社)は「ほつれ」を繕い直す。

 世界の創造主がこの世に現れて、SFでいう「パラレルワールド」からこちらの世界に綻び出た殺人事件を収拾する。創造主はGODということにする。この世の人間に乗り移り、正体を明らかにして裁判所で証言し、マスコミにも会見する。哲学・神学論争を交え、一般人の質問や運命についても語る。事件とその結果もGODの計算式どおりだと。彼がすべてを語り終えると事件についてもGODのこともこの世の人間の記憶からは消える。
 SF評論家との問答ではGODは小説家筒井となる。

《「……それじゃあまあ、ひとつだけ教えてあげようかね。わしやお前さんたちがここでこうして存在しているのもひとつの可能世界に過ぎないという証明だ。つまり、これが単に小説の中の世界だとしたらどうだい。読者にしてみればわしやお前さんたちのいるこの世界は可能世界のひとつに過ぎないだろ。お前さんたちだってわかっていえるじゃないか。これが小説の中の世界だってことが」》

 作中人物に「それを言うたら、おしまいとちゃうんけ」とまで言わせている。私たちは筒井の掌で遊ばれている。
 小説の中では〈GOD〉=著者がすべて解決してくれる。現実世界では私たちが「ほつれ」の始末をつけなければならない。これまで先人が積み上げてきた「知性」「論理」に基づいて。

 木内昇『よこまち余話』(紹介ずみ)も異次元の人物が出現する物語だが、強い平和のメッセージがある。お針子の齣江は未来からの人。齣江は魚屋の次男・浩三の先輩・遠山と未来で結婚するらしい。遠山は理系の研究者になるのだが、戦争によって本来の研究ができなくなるようだ。齣江はこの世から去るにあたって浩三に頼みごとをする。

《「遠野さんと、いつまでも仲良くしてあげてね。あの人は、浩ちゃんのことをとっても頼みにしているから」(中略)
「浩ちゃんにはちゃんと現実があるから、とても助けられたのよ。先を変えることはできないけれど、浩ちゃんといるだけであの人は広い世界を見られたから」(中略)
「留守番を、お願いね。でもここにあるものは、なにも残さないでいいからね。浩ちゃんは守らなくてもいいの。ずっとあの人といてくれれば十分だからね」(後略)》

(平野)