2016年6月23日木曜日

荒ぶる自然


 高田宏 『荒ぶる自然 日本列島天変地異録』 苦楽堂 
1800円+税

 1997年新潮社から出版された本を復刻。95年雑誌『プレジデント』連載当時、苦楽堂社主が担当していたという縁。
 高田宏(19322015)、京都生まれ石川県育ち、作家。光文社『少女』編集時代に災害被災地を取材。著書に『言葉の海へ』『木に会う』(共に新潮社)など。
 高田は高校時代に福井地震に遭っている。いつか災害と人間の歴史を書くつもりだった。連載直前に阪神淡路大震災が起き、半年延期した。
「阪神大震災の章は立てなかった。六千数百人の御霊に合学するのみである」
 高田は大災害被災地を訪ね歩く。豊かで巨大な自然の力、自然に寄り添う人間の暮らし、悲惨な被害の記録と記憶、災害から得た教訓と知恵を言葉にする。犠牲者を弔う。その自然と共に生きることを選んだ人たちの姿・勁さを書く。
 取り上げるのは、福井地震(1948年)、浅間山天明大噴火(1783年)、伊勢湾台風(1959年)、天竜川三六災害(1961年)、有珠山噴火(1977年)、狩野川台風(1958年)、三八豪雪(1963年)、伊豆大島噴火(1986年)、三陸沿岸大津波(1896年、1933年)、桜島大正噴火(1914年)、室戸台風(1934年、61年)、下北ヤマセ冷害(1993年)。

「はじめに」より。
《日本列島は山岳列島である。火山列島でもある。それゆえに森林列島であり河川列島である。(中略)複雑な大地が複雑な気候と共に、千変万化する風景をこの列島は生み出してきた。それが、日本列島の自然の豊かさだ。そして、その自然がぼくたちを生かし、ぼくたちの心を養ってきた。》
《豊かな自然は動く自然だ。動きが大きいとき、自然の力がぼくたちにとって恐ろしいものとなる。(中略)
 だが、それなら動かない自然がいいかと聞かれたら、それは嫌だと思う。山がなく、森がなく、川がなく、ただ静かで平らな大地がひろがるだけのところには、ぼくは暮らしたくない。
 日本列島の荒ぶる自然がこれまで多くの人の生命を奪ってきた。家々を壊し、田畑を荒らしてもきた。たくさんの悲しみを生んできた。それは辛いことだ。だがぼくたち日本列島に生きる者を鍛えてもきた。地震、噴火、台風、水害、雪崩、津波といった荒ぶる自然の歴史は、その自然に鍛えられてきた人間の歴史をも見せている。荒ぶる自然はしばしば美しい人間の母胎であった。》

(平野)
 祖母は毎晩寝る前にバケツに水を汲み置きしていた。阪神淡路大震災のとき、私はその行動の意味がようやくわかった。中学生の時に水害で床下浸水の濁流に驚いた、怖かった。阪神大水害を知る祖父母父母は慌てなかった。皆空襲も経験している。本屋のお客さんが伊勢湾台風の話をしてくれた。人生の歯車がはずれた。家業(土建業)を継いで間もなく、手配していた資材が全部流されて大借金。家業は細々と続け、自分は他社に勤めて借金を返済したと言う。

 本屋新米の頃、高田宏は石油会社のPR誌『エナジー』の編集者として著名だった。その雑誌を読んだことはないが、他の雑誌にもよく登場していた。数年前、辞書編集お仕事小説を読んでいる人に、私は『言葉の海へ』を教えた。「こっちやろー!」。大きなお世話大きな迷惑?