2017年8月6日日曜日

人形作家


 四谷シモン 『人形作家』 中公文庫 1000円+税

 2002年講談社(現代新書)刊に書き下ろし「新しいはじまり」を加える。
 1章の「人生がはじまっちゃった」は苦難の少年時代。マンガ「笛吹童子」のしゃれこうべのお面を作った。《「ものをつくる」ということの快感》を知った。お面から人形になっていったか記憶はおぼろ。《気がつくと、ふーっと人形作りに染まっていました。》
 社会に出て、働きながら人形作り、ロカビリー歌手にもなった。病気もした。遊び仲間の中心に金子國義がいて芝居に導かれ、多くの文化人と知り合った。
 本屋で宇野亜喜良が表紙を描いている雑誌を手に取った。人生を変える写真、ハンス・ベルメールの人形があった、解説が澁澤龍彦。
 金子に唐十郎を紹介され、舞台にも進出。人形作家としてよりも状況劇場の女形で知られた。人形制作に打ち込む決心をして芝居から離れた。
 72年、10人の写真家がシモンを被写体にして写真展を開催。シモンは人形作品を出品して50枚の写真の真ん中に置いた。翌73年第1回の個展、画廊オーナーに借金をして人形作りに没頭。半年で12体完成。案内状に澁澤と瀧口修造が寄稿、篠山紀信写真。金子が会場のレイアウト。多くの友だちが細かい作業を手伝ってくれた。作品は完売。

《ぼくは自分の心のなかで「天下を取った」と思いました。それが生活の保障に繋がるということではありません。こういう展覧会を「やった」ということの手ごたえ、実感でした。》

70年代、登場する人物たち、シモンの活躍は華やかの一言。しかし、初版から15年、多くの人が鬼籍に入った。シモン自身は人形制作も俳優もその活動の場は広がっている。

《夢はとても大事だと思います。僕も十代の頃に「将来は人形作家になるんだ」という夢をもって、滅茶苦茶なりに、ともかくそこに向けてずっと突き進んできました。(中略)人形作りには、これが絶対ということはないのです。ざらざらした人形の先にまた何か新しい表現方法はないかと、これからも模索し続けていきたいと思っています。/当たり前のようだけれども、それが僕の新しいはじまりです。》


 写真は本書と金子『美貌帖』(河出書房新社)見返しの絵、四谷シモン学校発表会の様子。

(平野)