2018年12月4日火曜日

編集者 漱石


 長谷川郁夫 『編集者 漱石』 新潮社 3500円+税
 
 夏目漱石の多方面に渡る活動について、出久根達郎は「七つの顔」(『七つの顔の漱石』晶文社、2013年)と表現、その素顔を紹介している。小説家、教師、英文学者、詩人・俳人、美術評論家・装幀家、スポーツマン、市井の人。
 長谷川は編集者・漱石に着目する。正岡子規亡き後の『ホトトギス』支援、朝日新聞専属作家として連載をしながら文藝欄創設、弟子たち・新人それに文学的立場の異なる作家登用、著書の装幀など。
 子規の影響は大きい。

〈漱石が頭脳明敏で、独創的な文学者であり、しかも倫理的な人格者であったことは言を俟たない。ただ驚かされるのは、十二年の文学生活があたかも子規の経験の繰り返しであるかのように印象されたことである。(中略、特定のメディアと深く関わったこと、若い人たちの集まる会、など類似)子規が俳句・短歌を革新し、写生文を提唱、書ける(、、、)散文へと大きな一歩踏み出そうとしたことは知られる通りだが、漱石もまた明治文学旧態刷新して、現代小説のために新たな可能性切りいたのである。

 漱石が読者からの批判的手紙に返信、そこに「新らしい真」という表現がある。漱石の自負である。

……「真」の一語が人間的真実を指すのか文学的リアリティーをいうのかは定かではないものの、いずれにせよ、たしかに漱石は「新らしい真」を表現することで、自然主義文学全盛の時代をくぐり抜け、私小説が文壇の主流となるのに抗して、風俗小説とは異なる知識人の文学の有り様を示したのだと言える。〉

 明治36年から37年、短歌・俳句の子規、文芸評論の高山樗牛、小説では尾崎紅葉、斎藤緑雨が続いて亡くなる。新しい作家たちが台頭してくるなかで、漱石は当時の社会、人間の苦悩をテーマに新聞紙上で長篇小説を書き続けた。
 長谷川はこう考える。

……ただ一筋、「新らしい真」を自身の照準としたのだと考えられる。それなら、と思う。発表形式の制約までを考慮した制作意図そのものが編集感覚の発現であり、創作はすべて編集機能の発揮ではなかったか、と。編集という、時代を明敏に読み取るはたらきを思うのである。〉

 長谷川も文芸書編集者。編集の仕事の「悲喜劇」を知っている。他人の一生を左右する「全人格を賭した行為」である。

〈……それは、褒められることを求めつづけた漱石自身が誰れよりもふかく知るところであった。見抜くこと、褒めることのさを、である。〉

 漱石臨終の1時間ほど前、虚子が見舞った。昏睡状態のなか漱石は「有難う」と応えた。漱石文人生活のスタートには虚子がいた。
 長谷川は漱石が登用した人たちをあげ、結ぶ。

〈末期の眼に、寺田寅彦、橋口五葉、鈴木三重吉、野上彌生子、中勘助、芥川龍之介、また和辻哲郎、岡本一平らがそれぞれの「未来」において活躍する姿が捉えられていた。武者小路実篤、志賀直哉、谷崎潤一郎らを加えて新時代の文学の全体像が鮮明に浮かんでいたと想像される。やがて、あの味噌っ滓・内田百閒が「夢十夜」の延長線上に、幻想文学に「新らしい真」を発見し、のちには法政大学での教え子たちを集めて、摩阿陀会で怪気焔をあげることになるだろう。/漱石から放出された胞子が、いまもなお、消滅することはないと信じたい。〉

(平野)いまさらながら文人生活が12年だったとは。それにしても、一部弟子たちの甘えたぶりはちと情けない。漱石の「狂気」に惹かれた芥川、療養中の漱石に揮毫させる瀧田樗陰の図々しさなどなど、読みどころがいっぱい。
 写真、一筆箋(日本近代文学館)の絵は、中村不折『吾輩は猫である』の挿絵。