2019年6月8日土曜日

完本 太宰と井伏


 加藤典洋 『完本 太宰と井伏 ふたつの戦後』 
講談社文芸文庫 1700円+税
 
 

「太宰と井伏」、初出は『群像』200611月号、単行本は2007年講談社刊。本書には「太宰治、底板にふれる――『太宰と井伏』再読」(20132月講演のための草稿)収録。加藤は本年516日、肺炎で逝去。3月入院中に本書あとがきを執筆した。

 太宰は遺書のメモに「井伏さんは悪人」と書いた。私は二人の微笑ましい様子を本で読んで、太宰の最後のいたずらだと思っていた。しかし、研究者は、井伏が「薬屋の雛女房」(1938年発表)で太宰精神病院入院中のことを書き、太宰が激怒した、と指摘。それを根拠に某評論家は、井伏が太宰を追い込んだと、悪人説を支持した。加藤はその解釈を、一方的な推理、太宰の側の問題に一顧も加えていない、と言う。

 太宰は4回自殺未遂を起こし、5度目が486月の入水心中。「薬屋の~」は4度目の心中未遂事件後を題材にしたもの。38年、太宰もこの事件を「姥捨」に書いている。内縁の妻・初代の不倫に太宰は衝撃し、共に死のうとしたが、未遂に終わる。相手の男性は、初代と一緒になりたいと願うが、太宰は許さない。初代は、下女でもいいから置いてほしいと懇願するが、太宰はそれも許さない。太宰は初代と別れる(棄てる)ことになるが、初代はしばらく井伏家で過ごした。その後、初代は北海道に行き、軍属と知り合い中国に渡る。中国では「慰安婦」になったという噂がある。初代は一時帰国し、井伏家にも立ち寄った。夫妻は中国に戻るな、と説得するが、初代は聞かず、44年青島で亡くなった。井伏家に知らせが来て、太宰に伝えた。太宰が「薬屋の~」を読んだのは47年。太宰は怒り、井伏を批難し、離れて行く。

〈井伏夫妻は、初代を愛しんでいた。「薬屋の雛女房」には、その小山初代の姿が、初々しいまでに活写されている。太宰は井伏に激怒するのだが、それは、身から出た錆である。死んだ初代が太宰の前に蘇る。そして、太宰の文学の基軸を、ぐらつかせる。(後略)〉

 太宰は度重なる自殺未遂の後、小説家として成功した。井伏の仲人で結婚もした。戦後、太宰が「家庭の幸福こそ諸悪の本」と言い、また死に向かって行くことについて、加藤は太宰作品を読み返し、考察する。「散華」(44年)には戦争で死んだ友に対する後ろめたさ=「純白」がある。「ヴィヨンの妻」(47年)で書いた、反人間的行為でも反社会的行為でも生きていさえすればいい、という「汚れ」。加藤は、太宰の「純白」の心と「汚れた」心の均衡が「薬屋~」の初代の亡霊によって脅かされた、と考える。

 一方、井伏は「黒い雨」(66年)で、「おお蛆虫よ、わが友よ……」という詩を引いた後、「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」と書く。原子爆弾への怒りだ。そこには太宰自死への思いもあっただろう。井伏は「純白」と「汚れ」を併せ持つ、そのことを否定しない。

井伏の太宰弔辞は、「どうしようもないことですが、その実は恥じ入ります。左様なら」、だった。

(平野)
映画「マイ・ブックショップ」を見た。戦争未亡人が田舎町で夫との夢だった本屋を開業。町の有力者は自分が文化の中心でありたい人物で、彼女の経営を妨害。老紳士が味方してくれるが、町の人たちは本屋から離れていく。レイ・ブラッドベリやウラジミール・ナバコフの本が紹介される。当時の先進的な本屋たろうとした姿勢を描き、読書の楽しみや喜びを伝える作品である。錚々たる識者が推薦のコメントをしている。でもね、私は結末――焚書とその当事者であろう少女のその後には納得できない。解釈が浅いのか。

 6.2《朝日歌壇》より。
〈令和でも私は紙で読むだろうレシートなどをしおりがわりに (高岡市)池田典恵〉
『ビッグイシュー日本版』359号(2019.5.15)特集は「紙の力 ポストデジタル文化」。

 大倉山にある神戸市立中央図書館が蔵書点検で15日間休館(6.317)。前々日が返却日でよかった。絶対、私、休み中に行くもの。いままで何回休館日に当たったことか。借りた本は、山本周五郎『小説の効用・青べか日記』(新潮文庫)、橋本関雪『白沙村人随筆』(中央公論社)、『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』(中央公論新社)。調べ物用。