2025年9月25日木曜日

わが文壇青春記

9.20 図書館、先日ドジした本、田村泰次郎(たいじろう)『わが文壇青春記』(新潮社、1963年)を借りる。1936(昭和10)年5月、田村他東京の新進作家・評論家らが婦人雑誌「令女界」「若草」の読者向け(映画付き)講演会のため大阪に来た。作家は丹羽文雄、井上一郎、小松清(神戸出身)、十返肇、大木惇夫ら。当時名が知られていたのは丹羽くらい。他は「大して仕事もしていなかった」。

 有志数名が神戸まで夜遊びに来た。数日滞在して、竹中郁、白川渥、及川英雄らと交流し、その記念写真あり(下に)。 

 田村は早稲田大学仏文科在学中に坂口安吾らと同人誌「桜」を創刊。長く従軍し、戦後「肉体の門」で流行作家となる。作品には戦場での体験が描かれている。




田村本から神戸での記念写真。前列左から3人目が田村、同じく右から4人目が竹中郁。『聞き書き 神戸と文学』で及川は、東京組の某作家が元町3丁目の喫茶店「本庄」のウエイトレスに一目惚れしたことを暴露。滞在中何度も通い、作家である証拠に5丁目の宝文館で著書を買ってサインしてプレゼントするも、振られた。 

午後、芦屋の「高橋健一の海洋画展」を覗く。福岡アリス同行予定だったが、自治会のお役目多忙につき断念。


 会社先輩から秋の音楽イベントお誘いあり。

 家人は孫のところに行き、息子は飲み会。ヂヂイひとり「孤独のグルメ」ならぬ冷蔵庫の整理、「孤食の粗食」。

9.21 「朝日俳壇・歌壇」より。

〈古書店に落ち着く心獺祭忌(だっさいき) (大垣市)大井公夫〉

〈待望の一冊抱くその先に関所のごとく待つセルフレジ (中津市)瀬口美子〉

9.23 神戸新聞ネットニュース、ジュンク堂書店三宮店で万引き男が書店員にケガさせた。書店員さん、危ないから絶対一人で立ち向かわないでちょうだい。

https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202509/0019507919.shtml

 

9.24 「朝日新聞」朝刊連載4コマ漫画、いしいひさいち「ののちゃん」がちょうど一万回。19911010日第一回掲載(当時は「となりの山田くん」、97年改題)。大偉業。いしいさんの健康を願う。読まずに取っておいた『ROCA コンプリート』(徳間書店)を開く。



 田村泰次郎『わが文壇青春記』(新潮社、1963年)。田村(191183年)は三重県出身、戦後「肉体作家」と呼ばれ人気作家になる。早稲田大学在学中から文筆活動を開始。当時隆盛だったプロレタリア文学にも新興芸術派にも早稲田出身者が少なく、西條八十はじめ教授陣、OB作家たち期待の新人だった。とはいえ、そう簡単に認められるものではない。作家修業、文壇交流、7年に及ぶ軍隊生活、復員後の活動、女性遍歴を語る。川端康成、石川達三ら著名作家たち、無名のまま病や戦争で散った命、せっかく生き延びたのに破滅していった作家たちもいる。

 親しい友で同じく流行作家となった井上友一郎(ともいちろう、190997年)と語り合う場面。夜の電車内、カツギ屋や酔っ払いがあちらこちらにいるだけ。

〈突然、私だが、井上だかが、/「おれたちは、これで、もう文壇へ出たのだろうかなあ」/と、ひとり言のようにつぶやいた。それは二人のうちのどっちがいったことにしても、それほど大きなまちがいでない。そのとき、私たちの心は、なにかほうっとした安心と、執拗にどこまでもはなれない初心の不安とが入りまじって、一つに溶けあっていたからである。/「うむ……」/これも、どっちがいったにしてもかまわない。(後略)〉

(平野)