2023年6月15日木曜日

幸田文

6.6 「朝日新聞」夕刊第一面に東京の書店員の情熱で専門書復刊、大量販売の記事。

6.7 「みなと元町タウンニュース」370号着。Web版も更新。拙稿は「西村旅館(7)」。雑誌「金曜」8号から23号。小泉八雲、児童詩、ビリオン神父、森於菟による幸田露伴追想など。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

6.10 ヂヂババ東京・横浜に行くのは楽しみのはずなのに、今回は重苦しい。右肩痛む。

6.11 「朝日歌壇」より。

〈母が摘みし好きな押し葉が挟まれて牧野植物大図鑑厚し (浜松市)松井惠

「朝日俳壇」

〈プルーストこれ一冊で雨安居(うあんご)に (筑紫野市)二宮正博〉

 孫の顔見て、夕方帰神。

6.12 仕事すんで家人と再度上京。13日夜帰神。バタバタしている。娘夫婦がテキパキと手助けしてくれる。頼りないヂヂババ。

 ブログも元町原稿もサボっている。

 

 『幸田文 ちくま日本文学全集』 筑摩書房 1993年 

解説 安野光雅



 幸田文(19041990年)は幸田露伴の次女。1938(昭和13)年文は離婚して父と暮らす。彼女が文章を書き始めたのは47(昭和22)年7月露伴の死後。父の思い出、記録、自分の結婚生活、破綻など。父から文章指導を受けていないが、日々の生活のなかで茶道、生け花から料理、掃除など細々教えられた。露伴は遊びながら庭の木々の話をしたり、手習い指導。家に素読の先生を呼び、句会も開く。

「みそっかす」より。

 文が生まれる時、露伴は男の子を期待していた。女中は、母が泣きながら「女だって好い児(よいこ)になれ、女だって好い児になれ」とくりかえしているのを聞いた。露伴は「いらないやつが生まれて来た」とつぶやいた、とも。

〈私の生まれたときに父は三十八歳、すでに一女を得ている。おのれの気魄を次代を貫きつがせたいその跡取り息子を望み求めたのは、世の人情のあたりまえである。(中略)人情の流れは、懐に抱けば舟もつなぎ波風も避ける。さからった私は櫓にも骨折り櫂にも息づいたが、いまはおだやかにこのことを思ってみている。壮年三十八歳の元気に溢れた父と、しかと云ったか云わなかったかわかりもしないことばとを、あたたかにわが懐に抱けばおのずから湧くものは微笑である。この私は裸で生まれ落ちるが否や、あれほどの、父ほどの男を忌々しがらせたではないか。何と生意気な、そして滑稽な文子。〉

(平野)