6.6 またやってしまった。6月に図書館休みがあるとわかっていて、本日行ったら20日まで蔵書点検の休みに入っていた。必要な本は市内の図書館になし。国会図書館のデジタル資料に頼る。でもね、画面では読みづらい。贅沢言うんじゃねえ!
6.8 「朝日新聞」〈Voice声×インタビュー〉は、6月9日「ロックの日」にちなんで「ロックじゃねえ!」。1月同紙「声」欄に投稿された読者(大学生)の小学生時代の思い出。6年生時の担任先生はロック好き。よく怒ったが、それは嘘や言い訳に対して。先生は怒りが頂点に達すると「ロックじゃねえ!」と叫んだ。3月俳優の松重豊がラジオでその話を朗読、はじめ笑って読んでいたのに最後号泣。その松重に、ロックとは、ロックの哲学を訊く。役者下積み時代、演劇表現・想像力、世の風潮や戦争への抵抗などを語る。自らの「生きる上での指標」と。
〈生き方としての『ロック』は、もはや死語に近いでしょ? だけど僕の中にはまだあって、仕事を選ぶ基準は、ロックか、ロックじゃないか。恥ずかしいけど、そうなんです。〉
あの細身の身体も「ロック」。記事の一部は下記で。
https://www.asahi.com/articles/ASS671133S67UPQJ00PM.html
6.9 「朝日俳壇」より。
〈この町の最後の本屋燕の子 (川越市)横山由紀子〉
■ 岩井圭也 『われは熊楠』 文藝春秋 2000円+税
博物学者・南方熊楠評伝小説。著者はミステリー小説などを多彩なテーマで執筆。なぜ熊楠小説か? 両親が和歌山出身、自身は大学院で菌類研究。
熊楠の奇人変人ぶりよくは知られるが、本書は彼の内面に分け入る。
「天才」と言われる頭脳を持ち、ひとつのことに集中できる精神力があった。霊感というか直感力に優れる。亡き友が夢枕に現れると吉事か凶事が起き、森で大日如来に新種の生物を教えられる。一方で他人とのコミュニケーションや整理整頓などは苦手というか、無頓着。
幼い頃から熊楠の脳内には「鬨の声」が湧いてくる。自身の迷いでもある「声」に反論し動揺して独り言。時には泣き喚き暴れる。大人になると酒の力も加わり喧嘩沙汰。
〈熊楠はだんだんと、己が怖くなっていった。己のなかには、熊楠でない熊楠がいる。だが平穏に過ごしているところを見るに、どうやら他人はそうではないらしい。つまり、己は異常なのだ。/――いったい、我(あが)は何者(なにもん)なんじゃ。/事あるごとに癇癪を起こしながら、熊楠は我(あが)という存在への謎を初めて抱いた。〉
小学校に入り、何かに没頭していると「鬨の声」は消える。学校の勉強では完全に消えない。植物、動物、鉱物、民話、伝承……、百科事典を調べ、暗記し書き写す。中学生になると級友の家の蔵書『和漢三才図会』105巻を借りた。しかし、「鬨の声」のことは判明しない。落胆したが、自分も世界の一部、と理解できた。
〈己は何者か。その謎に答えるための術が、自然と浮かび上がってきた。すなわち、我(あが)を知るためには世界を知ればよい。世界を知り尽くせば、己の正体もおのずと浮かび上がる。熊楠は、なぜ自分が世界に関する知識を欲するのか、おぼろげながら理解しはじめた。/詰まるとこ、我は我のことが知りたいのや。〉
親と弟に金を頼っての貧しい研究生活。理解者であった弟と縁を切る。長男が心を病む。
1929(昭和4)年6月、昭和天皇に生物学進講。栄誉に周囲は喜ぶが、熊楠は弟と長男の不在を悔いる。
41(昭和16)年12月、熊楠臨終の場面。妻と長女に見守られる。心残りは弟と長男のこと、それに蔵書・標本類。
〈「生きることは死ぬこと、死ぬことは生きること」/ひとりでに舌が動いた。/強がりや諦めではない。熊楠の生は終わったが、生命の旅に果てはない。命は絶えず流転し、新たな命を生み出す。〉
(平野)