11.8 朝、孫に宅配便、相撲番付とお菓子を送る。
午後、家人と新開地喜楽館で落語。ベテラン、中堅、若手、お神楽。終演後ロビーで出演皆さんが観客を見送ってれる。
「BIG ISSUE」514号。インタビューはAdo、特集は「あたりまえを壊す人類学へ」。元町駅前の販売員さん登場。
11.11 2ヵ月に1度の内科診療。
幕末の混乱のなか、堺で起きた土佐藩士によるフランス兵襲撃事件。大岡昇平(1909~1988年、作家・フランス文学者)が森鷗外の歴史小説『堺事件』の誤り(発砲状況、死者数)を正す。国内の・資料・文献、当事者の記録、フランス側の資料など細大洩らさず検証する。
慶応4年1月11日(1868.2.4)摂津神戸村の三宮神社前で岡山備前藩の行列を外国人兵士が横切り紛争。双方が発砲し、外国人3名負傷した。この「神戸事件」が明治新政府初の国際外交事件となる。備前藩の砲兵隊責任者が切腹して収まった。
その一ヵ月後2月15日(3.8)、大坂堺で事件。土佐藩兵士がフランス兵士を襲撃し、11名死亡。彼らは街を散策し、海岸を測量する者もいた。土佐兵は堺を外国人遊歩地区と知らず、また「攘夷」の志も強かった。土佐の隊長は既に「神戸事件」の情報も知っていたはず。自分がひとり切腹すればよい、と考えた。ところが、フランス側の要求は犠牲者の数と同人数以上の処刑。新政府の外交責任者は応じ、土佐藩は兵にくじ引きさせ、20名の切腹者を決めた。ここでまず命の選別があった。ほとんどが足軽身分だが、切腹者は士分として扱われる。11名が切腹し終えたところで、フランス側が9名を助命とする。彼らの命は助かったが、土佐に戻され流刑。藩上層部は攘夷を放棄する。
死者、死を免れた者、ひとりひとりについて大岡は目を配る。フランス側の犠牲者も地方出身の貧しい者たちだった。
幕末動乱、開国、西洋列強との外交という大きな歴史の波が土佐とフランスの下級兵士たちを翻弄した。
(平野)