2025年12月30日火曜日

街に戦場あり

12.27 たぶん今年最後の本屋さん、家人の雑誌のみ。

 年賀状投函、今年で年賀状仕舞とする。メールとLINEでは味気ないかもしれないけれど、ヂヂイ寄る年波のドンブラコでございますので、お許しを。

 神戸新聞ネットニュースでギャラリー島田・島田誠さん訃報を知る。衝撃。のの様からLINEあり、ご家族から直接電話。海文堂書店ジイサンズに連絡。

12.28 午後、神戸栄光教会。故島田誠さん弔問。安らかなお顔。ご長男と初めてお会いする。島田さんとそっくりそのままで、先に来ておられたピアニスト女史と共感。ご次男夫妻、元同僚の児童書担当者、ギャラリースタッフさんも見える。悲しみの最中だけど、懐かしい話・思い出話に花が咲き、遺影写真選びも和やかに。ご家族の明るさは部外者には助かる。部屋に毛筆「常に寿ぎ絶えず祈り凡に感謝」(うろ覚え)の掛け軸あり、「日野原善輔」と読める。聖路加国際病院の日野原重明さんの父上の筆。

12.29 島田誠さん訃報記事、「朝日新聞」神戸版にも掲載。本日の葬送式にヂヂイは参列できない。13時に合わせて職場で讃美歌「主よみもとに近づかん」を聴きながら黙禱。



仕事は本日最終日。マンション住民さんたちにご挨拶。

12.30 朝、埼玉・岩さんからグループLINEで体調報告。グループの人たちはいろいろメッセージ投稿しているけれど、ヂヂイは「お大事に」としか言えない。

 家人に叱られ、机まわり片付け。ヂヂイは子ども並みの日常。しぶしぶでもやらないと放り出される。

 孫(妹)動画、クリスマスにもらったキックボードで走り回っている。暴走心配。

 

寺山修司 森山大道 中平卓馬 『街に戦場あり』 ちくま学芸文庫 1200円+税

 

 1966年「アサヒグラフ」連載。森山と中平が撮影する都会の様々な場所、人の写真に寺山がエッセイを添えた。歌手とファン、競馬場、ストリップ劇場、パチンコ屋、ピンク映画、宝くじ、上野駅、見世物小屋、ボクシング……。昭和の高度成長時代、飢えはしないけれど貧しく孤独、それでもしたたかに生きていく。賑やかだけれど寂しくて、それでいて暖かい街の片隅、夢があり、挫折あり、休息の場でもある。そこで生きていかざるを得ない人たち。

 寺山の「家出のすすめ」を読んだ家出少年少女が身の上相談の電話をかけてくることから、上野駅に出かけることが増えた。

〈風呂敷包みと啄木歌集、それに一本のコ―モリ傘を持った彼等は、/十年前のある日の、私自身のポートレートでもあるのである。〉

 家出少年寺山18歳が上京してきた時、上野駅でやさしい老人がうどんを奢ってくれ、東京の地図まで書いてくれた。親切そうに近づいてくる手配師や置き引き犯のこと、それにスリの様々な手口まで教えてくれた。その老人もスリだった。老人が打ち明けたのか、それとも寺山は被害者か、不明。

井沢八郎「あゝ上野駅」の歌詞とともに、寺山は上野駅構内を歩く。上野駅は広い。保安室の失踪人写真、公衆便所、遺失物収容所、あちこちの方言が飛び交い、迷い人があふれる。

〈それはまるで、一〇〇メートル四方のはてしない群衆の荒野なのだった。〉

 森山と中平の写真はモノクロ、ブレ、ボケ、画像荒い、それゆえにナマナマしい現場、その場所にいる人間の姿が写し出されている。

(平野)皆様良いお年をお迎えください。

2025年12月28日日曜日

深悼 島田誠さん

悲しい辛いお知らせです。

1226日夜、ギャラリー島田代表、元海文堂書店社長の島田誠さんが肺炎のため逝去されました。83歳。

https://gallery-shimada.com/cn6/2025-12-27.html

 

2003年、私は島田社長退任後の海文堂書店に中途入社しました。三宮ブックス勤務時代、村田社長を通じて、また雑誌や新聞記事などで島田さんの活躍を存じていましたが、直接話をする機会はありませんでした。時おり島田さんがお客として海文堂に来て話すようになったような次第。海文堂を大事に思い、誇りにされて、閉店時には何より従業員のことを気遣ってくださいました。海文堂OGが施設で療養すると足繁く見舞いに行き、身寄りのない彼女の最期を看取りました。

ギャラリーで何度も海文堂イベントを開いてくださいました。私は月に一度ギャラリーのDM発送作業を手伝い、親しくお茶の時間をご一緒しました。「みなと元町タウンニュース」の拙稿を楽しみにして、ついには出版実現に力を貸してくださいました。多大なご恩を頂戴いたしました。新参者がおこがましいことですが、謹んでご冥福をお祈りいたします。

老人力は誰でも身に付きます。島田さんも聴力が衰え、趣味のレコード鑑賞もままならず、嘆いておられました。それでも毎日ギャラリーに顔を出して画家さんやスタッフさんと歓談し、お孫さんと散歩する姿は微笑ましいものでした。金看板はいつもの場にいるだけで皆安心するのです。

芸術を愛し、本と本屋を愛し、人を大事にする人でした。「文化至上主義」とも言える頑固さも島田さんの美徳です。芸術家支援基金を立ち上げ、その活動を継続・拡大して現在に至ります。大企業や行政の非文化的な開発事業に異議を唱え、抗議の先頭に立ちました。商売仲間から商売下手・文化人と揶揄され、文化人からは商売人と卑下されたことを自らこう表現しています。

〈動物の仲間にも鳥の仲間にもいれてもらえない蝙蝠みたいなもの〉(『不愛想な蝙蝠』風来舎、1993年)

私は『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂、2015年)で以下のように書きました。

〈島田が海文堂書店の経営者であり続けていたとしたら、海文堂書店は存続できていたでしょうか。私は書店員を続けていられたでしょうか。答えは出ません。わかりません。/でも、文化至上主義の島田が経営者であり続けていたら、閉店の形は違ったものになったと断言できます。なぜなら、島田は人とのつながりを大事にする人だからです。〉

 

聖夜の祈り終えて蝙蝠昇天す

蝙蝠のバリトン響けウィンターソング

木枯らしがハンター坂を吹き下ろす



(平野)

2025年12月25日木曜日

山本周五郎未収録時代小説集成

12.23 朝日新聞記事、第52回大佛次郎賞に木内昇『雪夢往来』(新潮社)。江戸時代末期のベストセラー、鈴木牧之『北越雪譜』出版まで40年の苦労を描いた歴史小説。



鵯越墓園、墓参り。帰り道、新開地でバス降りて喜楽館の正月公演チケット購入。

 午後、銀行回り、買い物して、トアウエストのギャラリーロイユ「ドラコニア逍遙 オマージュ澁澤龍彦展」。澁澤と縁の深い芸術家たちによる美術作品と澁澤愛蔵品を展示。記念冊子「ドラコニア逍遙記」(ギャラリーロイユ発行)、展示作品紹介ほか、夫人と作家たち寄稿。澁澤龍子「澁澤ダイアリ」、巌谷國士「澁澤龍彦の美術世界」、山尾悠子「ドラコニアの周辺より」、東雅夫「ドラコニアの軒先で」。



元町商店街をぼんやり歩いていたら塩屋の古書店主とバッタリ。

12.24 ギャラリー島田DM発送作業。今年の展示はすべて終了して、ギャラリー内は後片付けの最中。スタッフさんがクリスマスの予定を訊ねてくれるけれど、老人夫婦には縁のないことでおます。

12.25 孫から家人にプレゼント届く。

 

『山本周五郎[未収録]時代小説集成』 末國善己編 作品社 2025年4月刊



 戦前に山本周五郎が発表した時代小説で単行本や全集に収録されていない作品、埋もれてしまった作品を集める。少年少女向けの剣豪小説や歴史小説、職人もの、怪異・幻想譚など。少女主人公も登場。戦時下ゆえ忠君愛国の歴史観で執筆しているが、戦死や英雄礼賛に抵抗していたり、家族を思う気持ちを控えめに表現している。

「戦国少年記」(193940年「六年生」に「秘文鞍馬経」の題で連載、42年改題して鶴書房から単行本)は武田家滅亡から18年後の話。関ヶ原合戦で勝利した徳川方と武田家遺臣との信玄隠し財宝争奪戦。編者は、周五郎が武田甲府流軍学の弱点を取り上げて、日本快進撃の時期に足元を見直す重要性を描いている、と指摘する。

私は戦乱が続くなか庶民の声として、大阪商人に語らせているところに注目する。商人は、天下は徳川家康が治めることになる、と確信。

〈……これまでずいぶんと強い大将もいましたが、戦に強いばかりで国を治めることを知らなかった、自分の威勢を張ることには強いけれども、日本国を泰平にしよう、禁裏さまのお心をやすめ奉ろうという考をもっている大将はいなかった、明けても暮れても戦につぐ戦です、お百姓も町人もくたくたにつかれてしまいました。(後略)〉

 商人は家康の徳、智恵をほめ、天下泰平を望む。主人公の少年(武田方)もその思いに共感する。財宝が見つかれば、まだまだ戦が続くかもしれない。さて、結末は?

 本書、4月に出たばかりなのにお江戸の本屋さんでバーゲンになっていて、11月上京時に購入。本屋さんからの返品など傷みのあるものを出品。10月末の神保町ブックフェスティバルで販売予定が雨で中止になったため。

(平野)

2025年12月21日日曜日

昭和文壇側面史

12.16 記載忘れ、12.14「朝日歌壇」より。

〈鼻眼鏡の親父ちんまり坐りゐる街の古書肆(こしょし)を文化といふなり (浜松市)久野茂樹〉

12.18 JR六甲道駅前の灘図書館に行くのに遠回り、バス乗ってお寺参り。妙光院「馬頭観音」参詣終えて、またバスで阪急六甲駅、徒歩で図書館。JRで三宮、本年最後の書籍購入。まだ家人の雑誌を買いに来なければならない。買い物して3時間半の散歩。

BIG ISSUE517、エッセイ特集「道草、寄り道、回り道」。木下龍也、岡崎武志、伊藤比呂美、津村記久子、星野智幸ほか全10名。「これまで、まっすぐに進まなかったことで失ったこと、得たことなどの悲喜こもごもについて」。



12.20 早朝、最終の地域資源回収。家人の命により掃除。自分の机回りは片付かない。

 中央図書館に行く途中で図書館カード忘れに気づき引き返す。いつものドジ、ボケボケ。 花森書林に本・雑誌引き取ってもらう。本棚に少しだけスペースできる。

12.21 「朝日俳壇」より。

〈公園の落葉(おちば)に座りカフカ読む (小平市)野口佐稔〉

家人と大谷本廟墓参。雨の京都、頭の中は渚ゆう子「京都の恋」(作詞・林春生、作曲・ザ・ベンチャーズ)。大谷さんから高台寺まわって八坂神社お参り。

 浅見淵 『昭和文壇側面史』 講談社文芸文庫 1996



浅見淵(あさみ・ふかし、19891973年)、神戸市生田区(現在中央区)中山手通生まれ、県立神戸二中から早稲田大学高等予科、早稲田大学国文科卒、小説家・評論家。横光利一、尾崎一雄、井伏鱒二ら早稲田出身作家のまとめ役。全国の同人誌にも目を配り、新人・若手を見出し、批評で取り上げて支援した。大正時代から数々の同人誌にかかわり、作品を発表し、仲間たちと交流。文学史に大文字で残る作家、一時代を築きながら忘れられた作家、無数の無名作家たち、大正・昭和の文学と文壇を回想する。

「大正」は151225日まで。翌日から31日まで6日間が昭和元年。

〈しかし、本当に大正時代が終わったという感じが泌々としたのは、明くる年の昭和二年七月二十五日の新聞の朝刊で、芥川龍之介の昨暁の自殺を知った時である。(中略)そのすこし前、近くの小銀行が倒産して戸を閉めてしまい、髪結い、大工などといった連中が、二、三日据わり込んで離れなかったという騒ぎがあり、芥川の死を知るに及んで、その死とあいまって、なんとなく時勢の険悪さが感じられ、大正時代が急に遠くになってしまったように痛感されたものだった。〉

1966年から67年「週刊読書人」連載、68年講談社から単行本。

神戸を詠んだ短歌。

〈ふるさとは港町なりさまざまの太笛聞きてわが生ひ立ちき〉

〈戦災に失せしわが家の跡に寝ね間取り辿ればちちははの見ゆ〉

 神戸関連では稲垣足穂の話「イナガキ・タルホと少年」。関東大震災の翌年に足穂がダンス教師していたことや、戦後すぐ共産党活動をしていたこと、など。

 足穂のダンス教師時代のことは衣巻省三が「へんな界隈」(『黄昏學校』版画荘文庫、1937年)で書いている。「鼻眼鏡」で有名な美男子。ダンス教室の女性たちにもてるが、女嫌い。

(平野)

2025年12月16日火曜日

山本周五郎戦中日記

12.11 「BIG ISSUE」516号、特集〈よい再エネ 地域との共生へ〉。



12.12 職場の屋上階段で掃除中、ドアが強風のため閉まってしまう。閉まると鍵もかかる仕組み、自分の側から開けられない。ドアに攀じ登り天井との隙間から上半身を乗り出して逆さまの状態で外側ノブに鍵を差し込み脱出。誰も見ていない。最悪の場合は、会社に電話して応援に来てもらうか、大声でマンションの住民さん呼ぶか、だった。

午後会社会議、多くのマンションで館内外の落ち葉掃除に時間がかかると嘆きあり。もともと自然豊かな土地を開発して造成したのだから、木々が生い茂り、動物たち(鳥も虫も爬虫類も両生類も獣も)がいて当たり前のこと。落ち葉はゴミではない。終わりのない掃除をしている管理人の悲劇。会議終了後、忘年会。

12.13 パソコンに詩人さんの文化支援基金応募推薦書を保存していたのが見つからない。ドジ。支援団体に間違い確認依頼したメールを送り返してもらうよう依頼。

12.14 明日本会の忘年会前にJR六甲道駅前の灘図書館。借りたのは『山本周五郎戦中日記』(角川春樹事務所)。

 忘年会は体調不良者続出して10名に減る。長くお世話になった赤松酒店マスターが今月をもって引退、参加者それぞれがこれまでのお礼を申し上げる。今年の出来事、来年の抱負、本の話で盛り上がり、本仲間故人追憶。詩集出版、子ども食堂開店、ボランティア活動、定年退職して介護施設勤務などみんな前向き。

イギリス大狸教授が秘蔵の本ご持参、眼福。1932年(昭和712月来神した堀辰雄が海岸通のトムソン(薬局、雑貨、洋書販売)で買った海豚叢書のサミュエル・ベケット『プルウスト』はこれ、と。『Proust』(Chatto & Windus、Dolphin Books series、1931)。

12.15 明日本会のお世話好きがLINEグループを設定してくれた。解散後、写真や本の紹介を投稿してくれる。

 

『山本周五郎戦中日記』 角川春樹事務所 2011年刊



 山本周五郎の日記は一部公開されているが、ほとんど門外不出の扱い。本書は研究者や編集者がご遺族に原本の閲覧の重要性を訴えて、公開され、出版できた。1941年(昭和16128日から45年(昭和2024日まで。日付は毎日ではないが、戦時下の周五郎の日常生活が記録されている。特に4411月からは米軍機の襲来・空襲を詳しく記す。

ヂヂイは周五郎の戦争観(従軍を拒否したこと)や戦中の経済生活に興味があった。戦争については祖国の勝利を願っているし、前線の兵士たちに感謝し、彼らの平安を祈る。不正確な軍情報に不満を漏らすものの、大きな批判はない。仕事はいくつも原稿を掛け持ちして忙しいが、お金は不足気味で前借したり蔵書を売ったりしている。食料、お酒はあちこちから提供されて、満足とは言えないが、それなりに足りている。家庭人(妻子への愛情)、隣保班長として地域活動、作家(空襲下の執筆の模様や編集者・友人たちとの交流)など、様々な周五郎の姿が現れる。家族のために生きたい、一枚でも多く書きたい、と仕事に向かう。

45124日の日記から。夕食に久しぶりの鰯をしみじみ味わい、夜は訓練警報、月が美しい。

〈万太郎のとりすましたる中にもがく相も芸なり。/善蔵のもがける中にとりすましたるも芸なり。/「もがく」と「とりすましたる」といずれが后先にもせよ必ず芸には付くものなり。/己が現在書きつつある作のなかに「真実」を、ぬきさしならぬ「真実」を、そして美しさを、つき止めなければならぬ。仕事を分けてはいけない、時代小説のなかに芸術をあらしめること「我が作品あり」と云わしめなければならぬ。「書くこと」の苦しみを、もっと苦しみを――。遊び事ではないのだ、この道のためには幾人もの先人が「死」んでいるのだ、もっと苦しんで、真実と美と力を書き活かさなければ――。〉

万太郎は久保田万太郎(18891963年、小説家・劇作家・俳人、慶応義塾大学卒、下町情緒を描く)、善蔵は葛西善蔵(18871928年、小説家、破滅型私小説)だろう。

(平野)

2025年12月11日木曜日

還って来なかった兵たちの絶唱

12.8 1941年(昭和16128日、ハワイ真珠湾において特殊潜航艇に乗りアメリカ軍艦に突撃した古野繁実中尉の辞世の句。〈靖国で会う嬉しさや今朝の空〉

日本は無謀な戦争に突っ込んだ。今読んでいる本、あとで紹介。

12.9 朝起きて朝刊で知る。昨夜青森県、北海道で大地震発生。

 夕方みずのわ社主とジュンク堂書店三宮店訪問、店長さんとお話。

1210 明日本会(本仲間の飲み会)の出欠締切日。多忙な年末ゆえ、皆さんギリギリまで調整してくれた様子。早々と出席返信の飲兵衛はヒマという訳ではなく、何よりも飲み会を優先、ということで。

 

栗林浩 『――戦後八十年――還って来なかった兵たちの絶唱』 発行:角川文化振興財団 発売:株式会社KADOKAWA 3200円+税



 著者は1938年生まれ、俳人・俳句評論家。

 戦後80年、日本は平和な時代を過ごしているが、世界では戦争・紛争で多くの人が犠牲になっている。

〈平和のために俳句が大きなことを成せるとは思わないが、この時機に、戦争で亡くなった俳人たちの俳句を通して、戦争を思い起こし、平和を確認することも必要ではなかろうか。戦場から還って来られなかった兵士たちの絶唱にも似た俳句を読み、当時の状況を再認識したいと思った。〉

 特攻兵、戦死者、行方不明者、抑留者、帰還後病死者……。戦犯、帰還者にも目を向ける。戦時中、厭戦・反戦の表現を弾圧した(虐めた)と言われる俳壇権力者の見直しも。

 特攻は志願と言われている。兵士は嫌とは言えない。祖国のためと決意する句が多いが、命令によって、と思われる句もある。昭和20622日沖縄周辺洋上にて戦死した原田栞少尉の句。

〈野畔(あぜ)の草召し出されて桜哉〉

(平野)

2025年12月7日日曜日

戦争の美術史

11.30 神戸市立中央図書館編集・発行「KOBEの本棚」111号(2025.11.20)で、拙著『神戸元町ジャーナル』で紹介いただいている。ありがとうございます。

20251125114538.pdf 



 図書館で借りた本。齋藤愼爾『周五郎伝 虚空巡礼』(白水社、2013年)。齋藤は若き挫折の時期、山本周五郎作品に救われた。これまでの周五郎研究をふまえながら、空白部分や疑問を追求する労作。



「朝日俳壇」より。

〈古書店のあの頃のまま秋の旅 (東かがわ市)丸山靖子〉

12.1 師走と言ってもヂヂイは慌ててすることは何もない。寒さに震えてトイレ回数増えるだけ。

12.2 午前中臨時仕事、久々。午後買い物。家人がよく「今日いいこと3つあったか?」と訊く。「悪いことはなかったから、それがいいこと」と答えている。今日はいいことあった。買い物でレジの人が親切、にこやかに応対してくれた。

12.4 昨夜から冷えて、冬用下着装着。

12.6 花隈の兵庫県古書籍商業協同組合で「もとまち一箱古本市」開催。書友のの様が出店するので会場覗く。よく知る古本女子たちも出店していて、本イベント常連本好きの皆さんが来ておられる。今日は本を買うのはではなく人に会うのが目的。

 

宮下規久朗 『戦争の美術史』 岩波新書 1360円+税



神戸大学大学院人文科学研究科教授。戦争に関する美術――絵画、彫刻、記念碑、写真、映画――を総称して「戦争美術」と呼ぶ。作品それぞれが、記録、戦勝記念、反戦・平和、死者追悼、さらに芸術性追求という多様な性格を持つ。

 人類の歴史のなかで戦争が文化・文明を推し進めてきたことは否定できない。武器開発から新しい技術や道具が生まれたし、道路が整備された。敵である異文化との交流も始まった。

〈文明を推進した戦争が美術と結びつくのは当然であった。実際、美術と戦争とは大きな関係がある。いずれも太古の社会から存在するが、美術が文化の成果を示す一方、戦争は美術を破壊して文明を停滞させるという真逆の結果をもたらした。美術は平和時にこそ制作されるが、戦争のたびに破壊されながら、戦争によって新たな題材を得て深化する面もあった。/戦闘の様子、兵士の肖像、戦地の風習を描く作品はいつの時代にも制作され、世界中の美術史を彩ってきた。それらの多くは戦争を否定的に捉えておらず、称えるものが多いが、近代になると反戦の主張を帯びるようになる。そして単に事実を記録するだけでなく、芸術としての力によって悲劇を記憶させ、人間のあり方や生死について考えさせる。〉

 現代の鑑賞者が作品を見て、作者の意図や時代背景や戦争の意味を理解できるとは限らない。

〈美術は、意味や目的によって作品の価値が決まるわけでもない。戦争美術でも、反戦を訴えたものが優れていて、好戦的なものやプロパガンダ(宣伝芸術)がつまらないとか、多様な意味をはらむ作品のほうが優れているなどとはいえない。そうした意味を超えて、どれほど戦争の真実に迫っているか、そしていかに訴える力をもっているかによって作品の価値は決まると私は考える。〉

 戦争画をタブー視せず、「反戦も好戦も美術史的に同一地平で考える」。

 いまやボタン一つで敵地に打撃を加えられ、攻められる側も防御する。無防備な無辜の人々の頭上から爆弾が降ってくる。それを無関係の人間は画面で見ている。無関係者には戦争が身近になっている。

 カラー図版約150点掲載。

(平野)ヂヂイは藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見た時、反戦画だと思った。当時の日本国民は殺戮の絵を死者への供養と拝んだ。