2025年12月16日火曜日

山本周五郎戦中日記

12.11 「BIG ISSUE」516号、特集〈よい再エネ 地域との共生へ〉。



12.12 職場の屋上階段で掃除中、ドアが強風のため閉まってしまう。閉まると鍵もかかる仕組み、自分の側から開けられない。ドアに攀じ登り天井との隙間から上半身を乗り出して逆さまの状態で外側ノブに鍵を差し込み脱出。誰も見ていない。最悪の場合は、会社に電話して応援に来てもらうか、大声でマンションの住民さん呼ぶか、だった。

午後会社会議、多くのマンションで館内外の落ち葉掃除に時間がかかると嘆きあり。もともと自然豊かな土地を開発して造成したのだから、木々が生い茂り、動物たち(鳥も虫も爬虫類も両生類も獣も)がいて当たり前のこと。落ち葉はゴミではない。終わりのない掃除をしている管理人の悲劇。会議終了後、忘年会。

12.13 パソコンに詩人さんの文化支援基金応募推薦書を保存していたのが見つからない。ドジ。支援団体に間違い確認依頼したメールを送り返してもらうよう依頼。

12.14 明日本会の忘年会前にJR六甲道駅前の灘図書館。借りたのは『山本周五郎戦中日記』(角川春樹事務所)。

 忘年会は体調不良者続出して10名に減る。長くお世話になった赤松酒店マスターが今月をもって引退、参加者それぞれがこれまでのお礼を申し上げる。今年の出来事、来年の抱負、本の話で盛り上がり、本仲間故人追憶。詩集出版、子ども食堂開店、ボランティア活動、定年退職して介護施設勤務などみんな前向き。

イギリス大狸教授が秘蔵の本ご持参、眼福。1932年(昭和712月来神した堀辰雄が海岸通のトムソン(薬局、雑貨、洋書販売)で買った海豚叢書のサミュエル・ベケット『プルウスト』はこれ、と。『Proust』(Chatto & Windus、Dolphin Books series、1931)。

12.15 明日本会のお世話好きがLINEグループを設定してくれた。解散後、写真や本の紹介を投稿してくれる。

 

『山本周五郎戦中日記』 角川春樹事務所 2011年刊



 山本周五郎の日記は一部公開されているが、ほとんど門外不出の扱い。本書は研究者や編集者がご遺族に原本の閲覧の重要性を訴えて、公開され、出版できた。1941年(昭和16128日から45年(昭和2024日まで。日付は毎日ではないが、戦時下の周五郎の日常生活が記録されている。特に4411月からは米軍機の襲来・空襲を詳しく記す。

ヂヂイは周五郎の戦争観(従軍を拒否したこと)や戦中の経済生活に興味があった。戦争については祖国の勝利を願っているし、前線の兵士たちに感謝し、彼らの平安を祈る。不正確な軍情報に不満を漏らすものの、大きな批判はない。仕事はいくつも原稿を掛け持ちして忙しいが、お金は不足気味で前借したり蔵書を売ったりしている。食料、お酒はあちこちから提供されて、満足とは言えないが、それなりに足りている。家庭人(妻子への愛情)、隣保班長として地域活動、作家(空襲下の執筆の模様や編集者・友人たちとの交流)など、様々な周五郎の姿が現れる。家族のために生きたい、一枚でも多く書きたい、と仕事に向かう。

45124日の日記から。夕食に久しぶりの鰯をしみじみ味わい、夜は訓練警報、月が美しい。

〈万太郎のとりすましたる中にもがく相も芸なり。/善蔵のもがける中にとりすましたるも芸なり。/「もがく」と「とりすましたる」といずれが后先にもせよ必ず芸には付くものなり。/己が現在書きつつある作のなかに「真実」を、ぬきさしならぬ「真実」を、そして美しさを、つき止めなければならぬ。仕事を分けてはいけない、時代小説のなかに芸術をあらしめること「我が作品あり」と云わしめなければならぬ。「書くこと」の苦しみを、もっと苦しみを――。遊び事ではないのだ、この道のためには幾人もの先人が「死」んでいるのだ、もっと苦しんで、真実と美と力を書き活かさなければ――。〉

万太郎は久保田万太郎(18891963年、小説家・劇作家・俳人、慶応義塾大学卒、下町情緒を描く)、善蔵は葛西善蔵(18871928年、小説家、破滅型私小説)だろう。

(平野)