2014年6月19日木曜日

絶望の精神史


 金子光晴 『絶望の精神史  体験した「明治百年」の悲惨と残酷』 講談社文芸文庫 940円+税  199671刷(持っているのは2008312刷) 元本は19659月光文社刊。
まえがき
1 絶望の風土・日本  絶望とは、何か  逃げ出せない日本  水蒸気の多い心象
2 ひげの時代の悲劇  ひげのある人生  ひねくれ者と孤独者  明治の青年を苦しめたもの
3 ヨーロッパのなかの日本人  ご真影  エトランゼのゆくえ  くずれゆくもの
4 焦燥する〈東洋(トンヤン)(クイ)  中国のなかの日本人  良心は、とても承服しない
5 またしても古きものが

人と作品  伊藤信吉
年譜  中島可一郎
著書目録  原満三寿

……百年、つまり、この一世紀は、小さな体の日本人が、力いっぱい、列強のあいだに背のびをした時代だ。そのことに誇りを感じた人もあろうし、むりやりに引きずられて迷惑した人もあろう。明治の開国当時の列強は、僧服をつけた狼たちであった。そこで、負けん気の日本犬が、狼のすることをまねて、大けがをしたというお伽話ができあがった。
 明治からの行きかたが正道だったと、このごろになってうそぶいている御仁もあり、敗戦後の二十年の日本を、新しい出発と考える人もある。明治からの国是が正しいという人にとって、「大東亜戦争」の敗北は十分な教訓となっていない。つまり、条件がそろい、実力がつけば、おなじ無謀をくり返しかねない人間の、性悪な情熱を代表している。戦後の二十年を肯定しようとする人たちの立場は、それはそれで正しいにしても、今日の民主主義の正義を、そのまま呑みこみすぎているのではないかと、これまたこわくなってくる。……

 光晴の問題意識は、日本人の「つじつまの合わない言動の、その源」。敗戦で人の心は見事に裏返った。
「(無欲だが、頑固、他人をやかましく非難するが、世話焼き……)それらの性格が、どんなふうにもつれ、どんなふうに食いちがってきたかをながめ、そこから僕なりの日本人観を引き出してみたい」
 光晴の人生で同伴した人たち、それぞれが背負った「近代日本の絶望」をさぐる。破産して最後は貧しい漁村の空寺の番人で死んだ実父、鹿児島で枝珊瑚の栽培に失敗し自殺した叔父、妻の不倫からコレラ菌を飲んで死んだ医者、彫刻の才能を嘆いて指を切った友……。彼らを追い込んだ環境、風土、時代を考える。
 しかし、彼らを通して光晴が語っているのは、日本近代史=戦争と天皇制。日露戦争頃の体験や見聞から。

僕という一個の人間に、そのとき渡された日本人としての人生は、自分の選択によるものでなく、いいも悪いも、できあがったあてがいぶちのものであった。そして、親の子どもとして、教師の生徒として、先輩の後輩として、国家の臣民として、できるだけ早く、できるだけよく順応するように、教えこまれた。(島国で、多民族国家でないこと、隣国と接して自他の優劣を比較する機会が少ないことから、不平、競争がないかわりに進展や自己批判も生まれない)
 日本のような国では、自分たちが、ほんとうに幸せなのか、不幸せなのかわからなくなる。だから、統治者が、日本は神国だと言えば神国ということになり、日本ほど美しい、すぐれた国はないと歌えば、それがすぐ全国民の合唱となる。客観的に正しいときは文句がないとしても、それが真実から遠い、統治上の宣伝であったりした場合には、傲慢不遜な国民や、狂信的な国民ができあがる。そういったことから発生する絶望や悲劇を、今日までの日本人がたくさん背負ってきたのではないか。……

(平野)

2014年6月18日水曜日

エディターシップvol.3


 『エディターシップ Vol.3』 特集「時代の岐路に立つ」 日本編集者学会発行 トランスビュー発売 2000円+税

文芸誌「海」がめざしたもの  近藤信行

「日本読書新聞」と混沌の六〇年代  井出彰

世代を繫ぐ仕事  柳原一德

 

戦時『FRONT』の東方社と戦後の平凡社  石塚純一

私たちはいかにして「開かれた政府」を実現するか――秘密保護法時代に立ち向かう視点  山田健太

日本でいちばん美しい本が生れる場所――美篶堂というサンクチュアリ  大槻慎二

「物語」がはじまる場所――古川日出男といとうせいこうの近作を中心に  佐藤美奈子

地方小出版の力(4) 港の人 里舘勇治  和賀正樹

……

 編集者とは何であったか、編集者はどうあるべきかを問う。編集にかかわるさまざまな仕事について、その過去と現在とを検証する。

私たちの年代の人間が、戦中あるいは戦後に読んできた中でいちばん共感したのは、第一次戦後はの人たちです。何といっても大きな苦しみを背負いながら、日本を考え、世界を考え、その中で文学の仕事をしてきた。これはやはり、見事なことだったと思います。(近藤)

今や、国民は日々の株価の高下落に一喜一憂し、価値の尺度はお金、お金……。出版物の売れゆきは下落の一途、良書の指針となる書評紙の役割は、尽きたように思える。しかし、それでも一方、二万人の読者はいる。そういうひ人たちがいるんだと、歯を喰いしばって現在も書評紙を創っている仲間がいる。六〇年代の古木よき時代を、ただ牧歌的になつかしんでいるのではない。二十一世紀の文化の核、柱は、活字、本によって思考され創られていかねばならないと、まだ考えている。(井出)

 執筆者のみずのわ出版・柳原から送ってもらった。

「世代を繫ぐ仕事」2013928日に大阪芸術大学での同学会第4回大会講演を元にしたもの。地方の一人出版社の実情と、彼の出版理念を語った。

 出版社は大小問わず「公器」なんですよ。うちの場合は出版「社」ではなくて出版「者」ではありますが。加えて、ウチのやっていることは出版社というより極小運動団体。それくらいの覚悟で仕事しています。
 アベノミクスで株価が上るといって脳天気に喜んでいる馬鹿、福祉のために消費税は上げるべきだなんてしたり顔でぬかしとる馬鹿、東京五輪招致が成功してよかったとか何とか言って騒いどる大馬鹿者、そういう人種は、初めからこの業界に入ってはいけない。出版とは基本的に、社会の主流からはずれた商売です。「思想信条の自由」の問題ではありません。こんな極端なこと言うのは如何なものかと言う人もいますが、ここまで言わなければ通じないからこそ、あえて言わせて下さい。(略)

 これから本にかかわって仕事をしていくという若い人たちに、どうしても伝えておきたいこと。最晩年の宮本常一が病床で発した言葉「ワシは必死の思いで仕事をしている」。それともう一つ、このおっさんええこと言うなと思ったひと言、「人のやり残したものに大事なものがある」。その時どきにあって、時代精神に対するアンチテーゼは常にぶつけ続けなければならない。その意味で、きわめて共時的であること、現代社会に対する問いかけであり、行動であること、出版とはそういう仕事です。知ってしまうことはしんどいこと、不幸なことではありますが、それが自身を鍛え、また自身を豊かにする。それゆえに、やり甲斐があり、かつ、誇り高い仕事であると思います。

(平野)

2014年6月17日火曜日

うたの心に生きた人々(2)


 茨木のり子 『うたの心に生きた人々』 ちくま文庫 (その2

金子光晴18951975)、愛知県生まれ、3歳の時金子家の養子。

1 風変わりな少年  2 中退の青春  3 山師のころ
4 第一回の外遊  5 詩集『こがね虫』  6 海外放浪の長い旅
7 むすこの徴兵をこばむ  8 戦後になって
 
 家庭の事情で、その生い立ちは複雑。養父の転勤で名古屋、京都、東京。非行、性のめざめ、洗礼、世の無常……感受性の強い子どもだった。

 暁星中学校で西洋文化に触れ、漢籍や江戸文学に親しむ。早稲田、美術学校、慶応、すべて中退。肺病療養中に詩作。親の遺産で山師稼業、失敗。25歳の時、養父の友人とヨーロッパに行き、1年間、彼の地の芸術・文化に浸る。
 帰国して『こがね虫』出版。関東大震災、結婚、貧困。私的には妻の恋愛事件、文学ではプロレタリア隆盛。光晴は時代の流行には乗らない。
 夫婦で日本から離れる。無一文の海外放浪。光晴は旅絵師で稼いで、パリにたどり着いたのは1年半後。長い旅はあしかけ5年に及んだ。
 帰国すると、プロレタリア文学は弾圧され、作家たちは転向。山之口貘に出会ったのはその頃。
 
 直接的ではない表現で天皇制批判、反戦を詩にする。息子の徴兵は仮病で忌避させた。外国人とも堂々とつき合った。非国民、逆賊呼ばわりされた。
 戦後、世の中は逆転。

 その半世紀にわたる長い詩業には、恋唄もあり、抒情詩もあり、ざれ唄もあり、弱さをそのままさらけだした詩もあり、一読考えこまざるをえないエッセイ集もたくさんあり、じつに大きなスケールと、振幅をもっていますが、とりわけその詩の、もっとも鋭い切先は、権力とわたりあい、個人の自立性は、たとえ国家権力によってだってうばわれないといった、まことに「無冠の帝王」にふさわしい、人間の誇りをかがやかせたのでした。
 
 
 写真、『金子光晴詩集』(思潮社)と本書から。
 

6.16(月)歯医者さん、区役所、J堂駅前店、Sブックス、ギャラリー島田、ちょこっと古本屋さん、うみねこ堂Nさんとすれ違って挨拶だけして、元町商店街事務所、くとうてん。えらい忙しいやん! 帰宅したら、イベントにきてくださったH牧師から出版カンパが届く、感謝。Sさんからはメールでパーチー写真サイト告知、参加者には会場で案内ずみだそうですが、メルアド忘れた人はSさんに連絡してください。
【海】ポストカードの「ブックカバー」は売り切れました。

(平野)

2014年6月16日月曜日

ポストカード&ブックカバー


 「海文堂生誕まつり 991 記念ポストカード 9種類」一枚100

「同 文庫カバー」一枚200

 本来、開催前、開催中に紹介しなければならないのを、忘れていました。

 当初6種類の予定が、あれもこれもと9種類になったのですが、一枚だけ文字のミスがあり、遅れて4日に入荷して、そのまま紹介しそこねたのでした。

 今はギャラリー島田で販売しています。在庫僅少です。品切れの時はご容赦ください。





 

 

6.14(土)

 午後神戸文学館の講演を聞きに。同館企画展「神戸洋菓子を愛した文人たち」(6.22まで、入館無料)の記念講演。
「漱石の場合は」 講師 大安榮晃さん(古書店ロードス書房代表)。
 会場満員、60名超。セ~ラ編集長、ゴローちゃんと並んで聴講。音響調整不良で聞き取れないところが多くあり。

 終了後、ワールド・エンズガーデン訪問、Oさんに『ほんまに』相談と看板猫に挨拶。

 JR灘駅構内でお茶していたら、隣席の年配ご夫婦が話しかけてこられた。話すのはほとんど奥さんだったが、無口な旦那さんも最後には加わってこられて、「あんたらはまだまだ若い、なんでもできる、自分が若かったら世界を回って紛争を止めたい」とおっしゃった。
 88歳にして、この理想。

(平野)

2014年6月15日日曜日

西加奈子と地元の本屋


 大阪の本屋発行委員会編 『西加奈子と地元の本屋』 140B 352円+税

 大阪の書店員、取次会社担当者有志が「大阪の本屋発行委員会」を立ち上げた。

 日本には多くの方言があり、その土地で食される食べ物があるように、その土地固有の文化を持つ地域「地元」があります。なのに、日本全国の読者に共有されていく「本」の一冊を手に取っても、表面的には「地域性」はほとんど感じられません。

 しかし、その本が生れた場所、その本を生み出した人、そして本を販売する本屋も、既にその「地元性」を含んでいて、それらは一冊一冊の創られ方・売り方・読まれ方に色濃く繁栄して、独自の物語を生んでいるのではないでしょうか。……

「一冊の本の持つ奥行や地元性」を感じている書店員たちの手で、地元の本が完成した。

○特別対談 西加奈子×津村記久子
「大阪を書くことは、ほんまにしんどいか?」

緊急アンケート 超ローカル書店員の証言

なんでこの本、ウチでは売れるんでしょ?

地元書店員ぶっちゃけ座談会

本に大阪らしさなんかいらん?

書店員実録ルポ

いつかは跨ぐぞ! 西加奈子宅の敷居

 

「西×津村」対談は、418日、スタンダードブックストア心斎橋店での「書店員ナイト」(calo Bookshop Cafe 10周年記念)特別企画

 西、イラン・テヘラン生まれ。2歳から堺市、小1から小5までエジプト・カイロ、そして大阪、26歳から東京。

 津村は堺市、阪南市から小3以来大阪市内在住。

――お二人とも生粋の大阪人なんですね。

西 いや、うちは違うと思う。カイロ在住のときは、外では東京弁で家では大阪弁のバイリンガルでしたから。東京では、大阪と京都と兵庫をみんなまとめてとらえていて、大阪ではなく「関西ですか?」って聞かれることが多いです。逆に、私たちは東京をひとまとめにしているでしょ。

津村 関西でも京都の人って、全然違いますよね。

西 やっぱり京都の女の人の方がモテる。東京に行って最初はバーでバイトしてたんですけど、しゃべるとよく「京都の方ですか?」って聞かれた。まさか大阪があかんとは思ってないから、「いえ大阪です」と返すと、「あ」とちょっと残念な感じになるんです。それからは「京都の方ですか?」と聞かれたら、「あぁ、よお言われます」って答える。嘘はついてへん(笑)。

(略)

 私もおじさん仲間と対談を聞いていたのだが、このあたりでみんなが、外に呑みに行こう、言うて一旦退場。
 このあと「対談」は、大阪弁で書くこと、大阪を書くこと、大阪の作家と大阪の本屋などに及ぶ。
「大阪を書くこと」も世界に通じる、すべての場所がローカルである、を直接聞いていなかったのは残念。

(平野)
パーチーでGF・Yさんが本書をプレゼントしてくれました。本書編集に加わったAさんからは『本の雑誌』取材「【海】最後の一日」の画像をいただきました。ありがとうございます。

2014年6月14日土曜日

海文堂書店のあゆみ


6.12(木) 児童書T講演と打ち上げパーチー。
  当初から実行委にパーチー担当が3名配置されるほどの力の入れようでした。

 イベントのために【海】外部の人たちが仕事の合間をぬって献身してくださっているのに、当事者が何の努力もしなくてよいのか? 自問自答の日々を過ごし、実行委の提案を素直に受け入れ、写真の姿となりました。ドレスが着られるようダイエットもしました、ほんまです。私、脱いだらすごいんです。

 衣装は神戸新聞H記者、化粧は漫画家ミユキング。

 着替え中からずっと眼鏡なしで、鏡も見ていません。「マルかいてちょん」くらいの認識です。写真で初めて。この格好でみんなに愛想をふりまき、写真を撮ってもらい、乾杯の音頭を取り、最後の漫才挨拶までしました。F店長はいっこも台本通りにやらずに弾けていました。
 私、ふだんから女性になれなれしいのですが、いっそう打ち解けていました。座る時のガニ股だけ注意されました。“嫉妬”はなかったです。
 お見苦しいものでごめんなさい。

 東京からも仙台からも来てくれました。仕事終わって駆けつけてくれた人ばかりです。ありがとうございます。おみやげ、差し入れありがとう。

 最終日の昼間は児童書Tの講演「子供と本の出会い」がありました。【海】の良心とも言えるTが、児童書・お客さんとの関わりを静かに話し、会場は涙と感動で一杯になりました。なぜ彼女があの場所に居続けることができなかったのか、今こう書いていても無念です。

 そやのに、夜はドンチャン騒ぎです。
 一日にして【海】の混沌が現れました。
 やはり閉店の原因はあの人と私でしょうか?

 写真は転載許可します。子どもたちに迷惑かけるかもしれない。でもね、お前たちは自由に生きよ! 
 当然酔って、洗顔しないまま寝て、朝、化粧が残っていて、もうやさぐれていました。

 写真提供、学参S。

 
 
 
 会期中、来場者に配布した年表「海文堂書店のあゆみ」はA41枚裏表でした。
 打ち上げパーチーでは、特別版(A5・8ページ)を製作し、参加者にお持ち帰りいただきました。
詩人・小野原教子が海文堂100年を祝う詩を書いてくださいました。会期中、ショーウインドウに飾られていた「詩」です。「願海」は仏教の言葉だそうで、命あるものをすべて受けとめるいうもの。海のもつ包容力を本と本屋に喩えています。彼女が愛したと名のつく二つの本屋への思いも含まれています。
 
 年表はまだまだ不正確です。これからも手を加えていきます。
 


 

 
(平野)
 
【海】ポストカードが東京で販売されている。
http://d.hatena.ne.jp/mask94421139/

 

2014年6月13日金曜日

てつびん物語


海文堂イベント、本の売上げ

新刊本

神戸新聞総合出版センター 成田一徹『神戸の残り香』正・続合計37

みずのわ出版 『神戸市戦災焼失区域図』他合計84

ひょうご部落解放・人権研究所 『人権マップ』 10冊(後半の6日間のみ)

合わせて24万円余りの売上げでした。

百円均一古本市は900冊超。

 最終日に、私、“古本一代”箱から1冊購入。

『てつびん物語  阪神・淡路大震災 ある被災者の記録』 奥野安彦写真 土方正志文

偕成社 200412月刊  新刊で入手可能 1800円+税

 95129日、奥野・土方は全壊の建物から荷物を運び出している女性に出会った。

「どないしたん」と声をかける。

「どないもこないもあらへん。もう、ぐっちゃぐちゃや。寒いなあ。あんたら、ちょっと入り……

 熱いお茶をいれてくれて、おしゃべり。

 小さな料理屋を一人で切り盛りしていた関さん。空襲で焼け出され、台風で流され、今度は震災。

「またか」ってなもんや。……生きとっただけでめっけもんや。くよくよしたってはじまらん。こうなったら、死ぬまでりっぱに生きたるわ。……

 当時67歳、元気な大きな声のおばちゃんとの出会い。

 二人は定期的に神戸に通い、200311月おばちゃんが亡くなるまで取材を続けた。

「震災後」を闘った、おばちゃんの記録。関さんだけではない、無数のおばちゃんたちが闘った。神戸だけではない、あちこちの被災地で無数の人が闘っている。

(平野)
6.12は打ち上げパーティー。きっと私の○装がアップされると思う。詳細は明日。