2.25 花壇のさくらんぼが咲き始めた。毎年花開き、実る。ありがたいと思う。いつまで咲いてくれるだろう。
2.27 『読書アンケート 2025』(みすず書房)をめくっている。地学の先生がアメリカ人作家の大著を紹介。1947年生まれの人物(作家も同年生まれ)があったかもしれない4通りの人生を紡ぐ。作家自身の体験、歴史、文学、映画などが重なる。地学先生、たまたま手にした本――政治学者が書いた科学史・進化学をふまえた「偶然」論を先の小説着想の解説と思える――を読みながら、中村草田男の俳句を思い出す。
〈春の闇幼きおそれふと復(かえ)る〉
俳句解説書だと、夜中子どもが目覚めて一人取り残された恐怖の体験。地学先生の解釈は、
〈「私はどうして私なのか」「何かが違っていたら私は私だったのだろうか」といった幼年期の恐れずにはいられぬ問いに私には思える。「私は……」はまた、六億年前に三葉虫が出現しなかったら私はいたのだろうかという問いにつながる。〉
私=ヂヂイの個人的思い出。小学二年だったか、家でひとり遊んでいて、ふと「じぶんはなに?」と頭をよぎった。
2.28 春、戦争がまた始まる。
石垣りん 『焔に手をかざして 新版 』 ちくま文庫 900円+税
『別冊太陽 石垣りん 鍋とお釜と燃える火と』 平凡社 2500円+税
『焔に手をかざして』、1980年筑摩書房から単行本、1992年ちくま文庫。
石垣りん(1920~2004年)、東京生まれ、詩人。高等小学校時代から詩作。卒業後銀行に就職し、定年まで勤めた。詩は福田正夫に師事。H氏賞、田村俊子賞、地球賞など受賞。本書はエッセイ集、定年退職があと五,六年に迫ってくる時期のもの。
表題作は子ども時代の読書の思い出。童話より少女雑誌、講談本を読んでいた。母の実家からもらって来たアンデルセン童話集のこと。
〈〝マッチ売りの少女〟は、いろいろな本で何べんも逢うことができた、そのたびに絵姿の少しちがう身すぼらしい少女でした。あのマッチ棒ほどに短い物語は、文章であることさえ焔にしてしまったのではないか、と思われます。私は、こごえた両手でその火を感じるしかありません。読者もやがて、オハナシのほとりで、少女のように冷たくなるでしょう。/童話は、子供に夢を与えるのでしょうか。私がいちばん多く受け取ったのは、かなしみだったような気がします。かなしみを知って、それから生きてきたのではないか、と。〉
りんには母が四人いる。実母と二人目の母は若くして病死、三人目は離婚。戦争が終わるまでに少なくとも家族六人が死亡。戦後、無職の父、病気の祖父、四人目の母、障害のある弟の生活を支えてきた。
生涯独身。若い頃、りんは「自分が子供を残して早く死ぬかもしれない母、というものにはなりたくない」と考えた。適齢期が戦争の時代だったこともあるだろう。家族を養う責任もあったろう。
少女時代、女学校進学可能な経済状態だった。父に月謝を出させるより、「早く社会に出て働き、その収入で好きな勉強だけしたほうがいい、自分にはそれが出来ると、へんな自信を抱いて」、高等小学校、就職の進路を選んだ。
関東大震災時は二歳だが、実母はこの時の傷が原因で亡くなったようだ。家族の死、戦争を乗り越えてきた。悲しみ、寂しさ、会社での苦労など、ユーモアを交えて詩作した。勁い人。
東京大空襲の後、りんは埼玉まで買い出し。駅前で統制違反の取り締まりがあると聞いて、そばの男性に確かめたら刑事だった。警察署で調べを待つ間、文庫本を読んでいたら、先の刑事が書名を言い当てた。買い物品のうち米だけ没収、あとは持たせてくれた。そんな刑事がいたことに驚く。
〈それはながい間/私たち女のまえに/いつも置かれてあったもの、//自分の力にかなう/ほどよい大きさの鍋や/お米がぷつぷつとふくらんで/光り出すに都合のいい釜や/劫初からうけつがれた火のほてりの前には/母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
(後略)〉
(平野)




