2025年10月16日木曜日

資本主義の敵

 10.9 ノーベル賞、生理学・医学賞の坂口志門さんに続いて、北川進さんが化学賞受賞。理系の話はさっぱり不明ながら、地味な基礎研究が大事なことはわかる。

10.11 当ブログがヂヂイのボケボケ日記になってきた。食事の用意、長芋をすりおろして食卓に置いたところ手が引っかかって床に落とす。食べものを粗末にしたうえマット洗い、しょげる。本屋さん行ったら待っていた新刊文庫出ていて、機嫌なおる。

 長い日数かけてリーダー選びしてもパートナーから拒否されて、また政治空白。テレビの解説は政権の数合わせ・組み合わせで、ああやらこうやら。どう転んでも、しばらくは連立で進まなければならない。

10.12 「朝日歌壇」より。

〈診察をまつ間の読書すがすがし二時間あまりも没頭できて (盛岡市)山内仁子〉

〈三四郎一人それから門を出てこころはずまず道草を食う (京田辺市)大島智雄〉

 職場の仲間と「KOBE JAZZ STREET」。三宮からトアロード、北野町にかけて屋内、野外でジャズが満ち溢れる。常連先輩がチケット手配して案内してくれる。熱心なオールドファンの皆さんがいっぱい。手拍子したり、しっとり大人のムードに浸ったり。ヂヂイでも知っている曲が多く楽しめた。フィナーレでは、最前列で聴いていた小学生が音楽に合わせて踊りだして、会場大盛り上がり。



10.14 孫電話、姉はコネコネ、料理の手伝い。妹モグモグ、つまみ食い。

 友だちが送ってくれた本。

 チョン・ジア 『資本主義の敵』 橋本智保訳 新泉社 2200円+税




1965年生まれの韓国の女性作家短編集。作品の底流にあるのは、朝鮮半島南北分断から米国軍政・軍事政権下で両親がパルチザンの闘士だったこと、両親の故郷であり自身が育った全羅南道の求礼(クレ)が主な舞台であること。過去の武装闘争、現在のグローバル資本主義をユーモラスに、また風刺を込めて描く。表題作は題名から強烈なメッセージと思われたが……

〈ここに資本主義の真の敵がいる。かつて社会主義を信奉した私の両親のことではない。(後略)〉

 著者が生まれたとき既に両親は年老い、貧しく、「資本主義の死んだ敵」だった。

著者が「資本主義に新たな、かつ真の敵」と世に知らしめるのは、「自閉家族」と呼ぶ30年来の友人とその家族。友人は自然に存在を消す「秘技」を身につけ、集団のなかで目立たない、気づかれない。彼女も見知らぬ人を恐れる。文芸創作科なのに作品を書かない、将来の志望なし、ほとんど毎日寝て暮らす。試験で答案用紙の一枚が逆に綴じられていたら、用紙をひっくり返せばいいのに、自分が机の反対側に移動しようとする。バカではない、バカ正直。学生運動で先輩が指名手配され、彼女も安企部に監禁され事情聴取を受ける。しかし、無傷で車で送られて帰ってきた。安企部も無垢(間抜け)な彼女に同情した(呆れた)。結婚して子どもができる。運転免許を取り、ネットショッピングもする。合理的でシンプル生活かというと傍から見てムダが多い。夫は真面目に働き、『資本論』を枕に寝る。子どももバカ正直、パソコン遊びの許可を得るのに一生懸命。素朴な食事、余暇の読書。大きな家や新しい電化製品不要、古い携帯電話で十分、今以上の消費生活を望まない、欲望がない。

〈幸か不幸か、彼らには自分たちが資本主義の敵だという自覚はなく、資本主義の敵になりたいとも思っていない。彼らの人生には何かをしたいという気持ちすら存在しないのだから。あ、ひとつだけある。このままでいたい、という気持ち。(後略)〉

 拡大膨張する資本主義をおちょくる。

 表紙の絵はイシサカゴロウ、神戸の画家。

(平野)

2025年10月9日木曜日

南方ノート・戦後日記

 10.5 「朝日歌壇」より。

〈図書館で借りた曽根崎心中のしおり紐だけ赤くて長い (高山市)西春彦〉

10.6 ヂヂイ寝言うるさい、らしい。夢の中でしゃべっているのを覚えていることもある。今朝がたの夢は本屋開店前にお客さんがいっぱい入ってきて、「まだです、時からです」と断わっている。それでもどんどん入ってくる。その寝言らしい。

 孫電話。妹は人形遊びに夢中。姉としりとり、負けず嫌い、ヒントを言われるのはイヤ。

10.7 ヂヂイぼけぼけ進行中。呆れた家人は買い物と晩ご飯用意のメモを書いてくれる。メモを見ても間違えるし、メモを持って行くのも忘れる。

10.8 BIG ISSUE512。特集「人間と薬物。そのつきあい方」、世界中に広まった薬物「ビッグスリー」は、アルコール、タバコ、カフェイン。

 大佛次郎『南方ノート・戦後日記』(大佛次郎記念館編、未知谷、2023年)読む。

「南方ノート」は大佛が1943(昭和18)年11月から翌年1月末まで同盟通信社から派遣されて東南アジア各地を取材した時のノート。この時期、同地域は日本軍の進撃がほぼ終わり平穏と言えるが、戦争全体で見るとミッドウェー、ガダルカナルで敗れ、劣勢。大佛は現地の飲食を楽しみ観光し、優雅に見える。原住民向けの文化講演や座談会に出席し、ラジオ放送の原稿を制作し、学校を訪問する。従軍作家ではないが、軍政に協力しなければならない。大佛は冷静に現地住民の声(日本統治の不安)に耳をすませ、アメリカの日本向け放送を聴いて日本劣勢の情報を得ている。

「戦後日記」ではあまりに忙しい生活を綴る。雑誌・新聞の連載多数、経営する出版社のこと、文壇付き合い、政府関係、近所・親戚付き合い、金の相談などなど。ストレス解消はスポーツ、旅行。ついつい深酒になり健康不良。ただ偉いのは、明るい時間に集中して執筆しているし、いい酒を飲んでいる。同時期売れっ子だった「無頼派」たちは危ない酒と薬物で身体を痛めつけていた。

良い作品を書きたい(連載中の作品は評判よし)、もっと本を読みたい、旅行帰りの車窓から田植えの様子を見て、酒量を減らす決意。

「よい仕事をするのは高貴な義務だし責任だと昨の車窓田植ゑのひとを見つゝ単純に感じたり 外に甘へてはいけないのだ 評判がよいだけに強く緊める必要あり」




(平野)先日紹介した『植民地時代の古本屋たち』、10月下旬に増補新装版出来。

2025年10月5日日曜日

植民地時代の古本屋たち

9.30 朝は寒いくらいの温度。あわてて長袖を出す。昼間はまだ暑い。

 午前図書館。午後買い物。本屋さんで先日の万引き騒ぎの話を聴きたいと思うけれど、ヒマそうな人がいない。ギリギリの人員で回しているのでしょうが、それも万引きの誘因では?

10.2 花森書林に雑貨や絵本を持って行く。自分の本も整理しないといけないのだが、腰が重い。

10.3 勤務マンションは高齢の方が大半。働くヂヂイも高齢者ながら、まだ若手。そういえば落語でも同年輩の師匠が同じことをしゃべっていた。

 沖田信悦(しんえつ)『植民地時代の古本屋たち 樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国――空白の庶民史』(寿郎社、2007年)。著者は当時船橋市の古書店「鷹山堂(ようざんどう)」店主。本書他、昭和戦前戦後の古書店資料をまとめ、出版している。

先日紹介した『帝国の書店』関連で図書館から借りた。内地・外地間の書物の往来、仲立ちをした古書店にスポットを当てる。本・古書店・お客の緊密な関係が明らかになる。

神戸の名物店主・故黒木正男の満洲ソ連軍進駐後経験が『帝国の書店』で紹介されているが、沖田本でも古書状況が引用されている。両書とも黒木の同じ文章からだ。

『帝国の書店』は、財産を処分する日本人を真似て黒木が路上で「にわか古書店」を始めたところ。大衆物を並べたが売れず、蔵書の岩波出版物を置くと「きれいに皆売れてしまつた」。客はすべて満洲人。岩波をはじめ「良書払底」の時代だった。

黒木原文は戦後古書組合の機関誌に発表したもの。黒木の詳しい経歴は不明。満洲在住時は愛書家として買い手の立場。戦後広島で古書店開業、1950(昭和25)年神戸に移転。

 


10.4 ローカル話題。三宮と元町の境界争い、綱引きで決着。元町勝利で、境界線は「京町筋」となった。戦とか住民訴訟ではありません。平和な街起こしイベント。

一政党の代表者選び、メディアが長期間報道してうんざりする。ヂヂイは投票権ないけれど、結果は最悪だと思う。

(平野)

2025年9月28日日曜日

帝国の書店

9.25 旧植民地の古本屋を取り上げたり、上海の「内山書店」のことを書いた本はあった。

日比嘉隆(ひび・よしたか)『帝国の書店 書物が編んだ近代日本の知のネットワーク』岩波書店5400円+税)。戦前大日本帝国勢力圏に進出した日本人経営の書店(新刊・古書)と本・雑誌を運んだ取次業者の歴史を調べる。戦争勝利によって日本の領土となった場所、日本の軍隊が進駐して占領した場所、海外に移住した日本人のコミュニティもあり、事情はいろいろ。領土には日本人子弟だけではなく現地住民の日本語教育のための教科書が必要だし、在外日本人の娯楽、教養、学術のために雑誌・書物は欠かせない。海外で本を売った人、運んだ人、買った人。モノであり文化そのものである本の価値。文化・知の産物である本と国家権力の相性、たとえば教科書供給、統制経済と流通の合理化。そして経済活動としての本屋・流通業。様々な視点から書店・流通を考える。さらに母国敗戦による人の引き揚げ、そして本たちのその後も。索引含め400ページ超。

著者は名古屋大学大学院教授、専門は近現代日本文学・文化、移民文学、出版文化。調査・研究しながら身近だった「街の本屋」のことを考えていた。対象の「旧外地」を訪れて古い地図をたどり、現在の姿を眺め、その土地の本屋を感じようとした。

〈だが、私はこの本を、かつてあった本屋の黄金時代への挽歌として書いたつもりはない。本書を通じて私が再確認したのは、読むことをめぐる人間の渇望の強さである。書店主や出版人の商魂のたくましさ。娯楽だろうが知識だろうが何か読まずにいられない人たち。いま街の本屋の生き残りは厳しいが、それは読むことの中心地が、ずれたことの余波であるはずだ。読むことをめぐる生態系は、変化のただ中にある。本屋の過去を考えながら、私はこの国の本屋の行く末もまた、考えている。〉

 


 休日は買い物担当。家人に指定されたモノ、自分で判断して買うモノ。後者が問題。まだ冷蔵庫に在庫があるのに買ってしまうこと多々。家人に叱られる。

9.27 新泉社・ヤスさんから新刊書、チョン・ジア『資本主義の敵』をいただく。ありがとうございます。思想系の書名ながら、同社の韓国文学シリーズ。神戸の画家イシサカゴロウが挿画・扉絵を担当している。紹介は読んでからします。

 久方ぶりに花森書林。8月は外部イベント大忙しの由。9月は私が出不精。

9.28 「朝日俳壇」より。

〈ぐりとぐら読んでと子らの星月夜 (新潟市)田丸信子〉

(平野)

2025年9月25日木曜日

わが文壇青春記

9.20 図書館、先日ドジした本、田村泰次郎(たいじろう)『わが文壇青春記』(新潮社、1963年)を借りる。1936(昭和10)年5月、田村他東京の新進作家・評論家らが婦人雑誌「令女界」「若草」の読者向け(映画付き)講演会のため大阪に来た。作家は丹羽文雄、井上一郎、小松清(神戸出身)、十返肇、大木惇夫ら。当時名が知られていたのは丹羽くらい。他は「大して仕事もしていなかった」。

 有志数名が神戸まで夜遊びに来た。数日滞在して、竹中郁、白川渥、及川英雄らと交流し、その記念写真あり(下に)。 

 田村は早稲田大学仏文科在学中に坂口安吾らと同人誌「桜」を創刊。長く従軍し、戦後「肉体の門」で流行作家となる。作品には戦場での体験が描かれている。




田村本から神戸での記念写真。前列左から3人目が田村、同じく右から4人目が竹中郁。『聞き書き 神戸と文学』で及川は、東京組の某作家が元町3丁目の喫茶店「本庄」のウエイトレスに一目惚れしたことを暴露。滞在中何度も通い、作家である証拠に5丁目の宝文館で著書を買ってサインしてプレゼントするも、振られた。 

午後、芦屋の「高橋健一の海洋画展」を覗く。福岡アリス同行予定だったが、自治会のお役目多忙につき断念。


 会社先輩から秋の音楽イベントお誘いあり。

 家人は孫のところに行き、息子は飲み会。ヂヂイひとり「孤独のグルメ」ならぬ冷蔵庫の整理、「孤食の粗食」。

9.21 「朝日俳壇・歌壇」より。

〈古書店に落ち着く心獺祭忌(だっさいき) (大垣市)大井公夫〉

〈待望の一冊抱くその先に関所のごとく待つセルフレジ (中津市)瀬口美子〉

9.23 神戸新聞ネットニュース、ジュンク堂書店三宮店で万引き男が書店員にケガさせた。書店員さん、危ないから絶対一人で立ち向かわないでちょうだい。

https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202509/0019507919.shtml

 

9.24 「朝日新聞」朝刊連載4コマ漫画、いしいひさいち「ののちゃん」がちょうど一万回。19911010日第一回掲載(当時は「となりの山田くん」、97年改題)。大偉業。いしいさんの健康を願う。読まずに取っておいた『ROCA コンプリート』(徳間書店)を開く。



 田村泰次郎『わが文壇青春記』(新潮社、1963年)。田村(191183年)は三重県出身、戦後「肉体作家」と呼ばれ人気作家になる。早稲田大学在学中から文筆活動を開始。当時隆盛だったプロレタリア文学にも新興芸術派にも早稲田出身者が少なく、西條八十はじめ教授陣、OB作家たち期待の新人だった。とはいえ、そう簡単に認められるものではない。作家修業、文壇交流、7年に及ぶ軍隊生活、復員後の活動、女性遍歴を語る。川端康成、石川達三ら著名作家たち、無名のまま病や戦争で散った命、せっかく生き延びたのに破滅していった作家たちもいる。

 親しい友で同じく流行作家となった井上友一郎(ともいちろう、190997年)と語り合う場面。夜の電車内、カツギ屋や酔っ払いがあちらこちらにいるだけ。

〈突然、私だが、井上だかが、/「おれたちは、これで、もう文壇へ出たのだろうかなあ」/と、ひとり言のようにつぶやいた。それは二人のうちのどっちがいったことにしても、それほど大きなまちがいでない。そのとき、私たちの心は、なにかほうっとした安心と、執拗にどこまでもはなれない初心の不安とが入りまじって、一つに溶けあっていたからである。/「うむ……」/これも、どっちがいったにしてもかまわない。(後略)〉

(平野)

2025年9月20日土曜日

聞き書き 神戸と文学

9.11 テレビの情報番組は1時間近く猛暑と各地のゲリラ豪雨報道含めて天気予報。政治ニュースは与党の代表選び。政治家は立候補意思表明や出馬発表やら政策やらを小分けして出てくる。放送局は広報担当している。在阪各局は万博PR、もうすぐ終わるから早く行けと煽る。ついつい見てしまう。

9.15 敬老の日。孫に相撲番付表ほか宅配便送る。

『聞き書き 神戸と文学』(神戸「人とまち」編集室編・発行、1979年)読む。1970年代に池本貞雄という人が主宰した雑誌「人とまち」から作家インタビューや対談をまとめたもの。田辺聖子、筒井康隆、灰谷健次郎ら地元に縁ある作家の他、詩・歌・俳壇の人たち、研究者が語る。及川英雄と林喜芳による「戦前の文学」回想も。

〈神戸は「六甲山や神戸港」で代表されるものではないし、近代百年の歴史でもって証明できるものではない。/「土着の文化がない」「文化は育たないまち」と泣言をいうのではなく発見することである。/人間のあるところ、生活は続き、如何なる辺境といえど歴史は毎日刻まれていく。/歴史を刻む人間がいる限り文化は大地に根をおろす。〉(池本「人とまち」創刊のことば。池本は197811月死去)



9.17 「BIG ISSUE510511。スーさんとシュワちゃん。最近ヂヂイは販売員さんに会えないが、家人はよく会う。



9.18 『聞き書き 神戸と文学』で紹介していた本を借りようと図書館来たのに、貸し出しカード忘れたおバカ。また今度。

9.19 暑さやや和らぎ、仕事も楽。退勤後、みずのわ社主と三宮の書店訪問、店長さんにイベント相談。7月に異動があったそうで、初めてお会いする。

(平野)

2025年9月11日木曜日

「さびしじに」 海鳴り38号

9.2 野球観戦、燕組対巨人、京セラドーム。優勝争いは虎組で間違いなし。巨人はなんとか二位を維持したい。わが燕は最下位で終わるだろう。勝負という意味ではなんとも緊迫感なく、燕は得点機を何度も逸し、敗戦。燕応援の楽しみは主力打者の本塁打くらいなのだが、不発。

9.4 久方ぶりに台風15号接近の模様。雨ほしい。

午前中図書館。やはり目当ての論文見つからず。

 作家・評論家の紀田順一郎さんが7月に亡くなっていた。90歳。

9.5 台風通過。

 歌手・橋幸夫さん死去、82歳。昭和の大スター、引退、復帰、認知症公表などすべてが話題になった。

9.6 親戚女子(家人の従姉妹の孫)が海外留学(1年)に旅立つので送別ランチ会、墓参り。我が家と家人一族を見渡して海外で長く生活する者は先の戦争で出征した家人の父(=彼女の曽祖父の弟)以来。

9.7 「朝日俳壇」より。

〈旅先に本屋を巡る夏休み (佐伯市)川西敦子〉

9.9 台風のあと少し暑さ和らいだと感じたが、猛暑戻る。午前臨時出勤、午後内科診療。

 編集工房ノアのPR「海鳴り」38。同社と縁の深い版画家・粟津謙太郎と作家・島京子の追悼誌面となった。社主・涸沢純平が書く。「粟津謙太郎画文抄」、「さびしじに――島京子さん小景」。粟津は202488日死去、享年81。島京子は同年916日死去、享年98

「さびしじに」? 作家仲間と旅した荒れ城とその城下町(今は観光地として有名)で、島が「こんなところに住んでいたら、寂し死にするわ」と言った。


 

(平野)