2025年12月21日日曜日

昭和文壇側面史

12.16 記載忘れ、12.14「朝日歌壇」より。

〈鼻眼鏡の親父ちんまり坐りゐる街の古書肆(こしょし)を文化といふなり (浜松市)久野茂樹〉

12.18 JR六甲道駅前の灘図書館に行くのに遠回り、バス乗ってお寺参り。妙光院「馬頭観音」参詣終えて、またバスで阪急六甲駅、徒歩で図書館。JRで三宮、本年最後の書籍購入。まだ家人の雑誌を買いに来なければならない。買い物して3時間半の散歩。

BIG ISSUE517、エッセイ特集「道草、寄り道、回り道」。木下龍也、岡崎武志、伊藤比呂美、津村記久子、星野智幸ほか全10名。「これまで、まっすぐに進まなかったことで失ったこと、得たことなどの悲喜こもごもについて」。



12.20 早朝、最終の地域資源回収。家人の命により掃除。自分の机回りは片付かない。

 中央図書館に行く途中で図書館カード忘れに気づき引き返す。いつものドジ、ボケボケ。 花森書林に本・雑誌引き取ってもらう。本棚に少しだけスペースできる。

12.21 「朝日俳壇」より。

〈公園の落葉(おちば)に座りカフカ読む (小平市)野口佐稔〉

家人と大谷本廟墓参。雨の京都、頭の中は渚ゆう子「京都の恋」(作詞・林春生、作曲・ザ・ベンチャーズ)。大谷さんから高台寺まわって八坂神社お参り。

 浅見淵 『昭和文壇側面史』 講談社文芸文庫 1996



浅見淵(あさみ・ふかし、19891973年)、神戸市生田区(現在中央区)中山手通生まれ、県立神戸二中から早稲田大学高等予科、早稲田大学国文科卒、小説家・評論家。横光利一、尾崎一雄、井伏鱒二ら早稲田出身作家のまとめ役。全国の同人誌にも目を配り、新人・若手を見出し、批評で取り上げて支援した。大正時代から数々の同人誌にかかわり、作品を発表し、仲間たちと交流。文学史に大文字で残る作家、一時代を築きながら忘れられた作家、無数の無名作家たち、大正・昭和の文学と文壇を回想する。

「大正」は151225日まで。翌日から31日まで6日間が昭和元年。

〈しかし、本当に大正時代が終わったという感じが泌々としたのは、明くる年の昭和二年七月二十五日の新聞の朝刊で、芥川龍之介の昨暁の自殺を知った時である。(中略)そのすこし前、近くの小銀行が倒産して戸を閉めてしまい、髪結い、大工などといった連中が、二、三日据わり込んで離れなかったという騒ぎがあり、芥川の死を知るに及んで、その死とあいまって、なんとなく時勢の険悪さが感じられ、大正時代が急に遠くになってしまったように痛感されたものだった。〉

1966年から67年「週刊読書人」連載、68年講談社から単行本。

神戸を詠んだ短歌。

〈ふるさとは港町なりさまざまの太笛聞きてわが生ひ立ちき〉

〈戦災に失せしわが家の跡に寝ね間取り辿ればちちははの見ゆ〉

 神戸関連では稲垣足穂の話「イナガキ・タルホと少年」。関東大震災の翌年に足穂がダンス教師していたことや、戦後すぐ共産党活動をしていたこと、など。

 足穂のダンス教師時代のことは衣巻省三が「へんな界隈」(『黄昏學校』版画荘文庫、1937年)で書いている。「鼻眼鏡」で有名な美男子。ダンス教室の女性たちにもてるが、女嫌い。

(平野)

2025年12月16日火曜日

山本周五郎戦中日記

12.11 「BIG ISSUE」516号、特集〈よい再エネ 地域との共生へ〉。



12.12 職場の屋上階段で掃除中、ドアが強風のため閉まってしまう。閉まると鍵もかかる仕組み、自分の側から開けられない。ドアに攀じ登り天井との隙間から上半身を乗り出して逆さまの状態で外側ノブに鍵を差し込み脱出。誰も見ていない。最悪の場合は、会社に電話して応援に来てもらうか、大声でマンションの住民さん呼ぶか、だった。

午後会社会議、多くのマンションで館内外の落ち葉掃除に時間がかかると嘆きあり。もともと自然豊かな土地を開発して造成したのだから、木々が生い茂り、動物たち(鳥も虫も爬虫類も両生類も獣も)がいて当たり前のこと。落ち葉はゴミではない。終わりのない掃除をしている管理人の悲劇。会議終了後、忘年会。

12.13 パソコンに詩人さんの文化支援基金応募推薦書を保存していたのが見つからない。ドジ。支援団体に間違い確認依頼したメールを送り返してもらうよう依頼。

12.14 明日本会の忘年会前にJR六甲道駅前の灘図書館。借りたのは『山本周五郎戦中日記』(角川春樹事務所)。

 忘年会は体調不良者続出して10名に減る。長くお世話になった赤松酒店マスターが今月をもって引退、参加者それぞれがこれまでのお礼を申し上げる。今年の出来事、来年の抱負、本の話で盛り上がり、本仲間故人追憶。詩集出版、子ども食堂開店、ボランティア活動、定年退職して介護施設勤務などみんな前向き。

イギリス大狸教授が秘蔵の本ご持参、眼福。1932年(昭和712月来神した堀辰雄が海岸通のトムソン(薬局、雑貨、洋書販売)で買った海豚叢書のサミュエル・ベケット『プルウスト』はこれ、と。『Proust』(Chatto & Windus、Dolphin Books series、1931)。

12.15 明日本会のお世話好きがLINEグループを設定してくれた。解散後、写真や本の紹介を投稿してくれる。

 

『山本周五郎戦中日記』 角川春樹事務所 2011年刊



 山本周五郎の日記は一部公開されているが、ほとんど門外不出の扱い。本書は研究者や編集者がご遺族に原本の閲覧の重要性を訴えて、公開され、出版できた。1941年(昭和16128日から45年(昭和2024日まで。日付は毎日ではないが、戦時下の周五郎の日常生活が記録されている。特に4411月からは米軍機の襲来・空襲を詳しく記す。

ヂヂイは周五郎の戦争観(従軍を拒否したこと)や戦中の経済生活に興味があった。戦争については祖国の勝利を願っているし、前線の兵士たちに感謝し、彼らの平安を祈る。不正確な軍情報に不満を漏らすものの、大きな批判はない。仕事はいくつも原稿を掛け持ちして忙しいが、お金は不足気味で前借したり蔵書を売ったりしている。食料、お酒はあちこちから提供されて、満足とは言えないが、それなりに足りている。家庭人(妻子への愛情)、隣保班長として地域活動、作家(空襲下の執筆の模様や編集者・友人たちとの交流)など、様々な周五郎の姿が現れる。家族のために生きたい、一枚でも多く書きたい、と仕事に向かう。

45124日の日記から。夕食に久しぶりの鰯をしみじみ味わい、夜は訓練警報、月が美しい。

〈万太郎のとりすましたる中にもがく相も芸なり。/善蔵のもがける中にとりすましたるも芸なり。/「もがく」と「とりすましたる」といずれが后先にもせよ必ず芸には付くものなり。/己が現在書きつつある作のなかに「真実」を、ぬきさしならぬ「真実」を、そして美しさを、つき止めなければならぬ。仕事を分けてはいけない、時代小説のなかに芸術をあらしめること「我が作品あり」と云わしめなければならぬ。「書くこと」の苦しみを、もっと苦しみを――。遊び事ではないのだ、この道のためには幾人もの先人が「死」んでいるのだ、もっと苦しんで、真実と美と力を書き活かさなければ――。〉

万太郎は久保田万太郎(18891963年、小説家・劇作家・俳人、慶応義塾大学卒、下町情緒を描く)、善蔵は葛西善蔵(18871928年、小説家、破滅型私小説)だろう。

(平野)

2025年12月11日木曜日

還って来なかった兵たちの絶唱

12.8 1941年(昭和16128日、ハワイ真珠湾において特殊潜航艇に乗りアメリカ軍艦に突撃した古野繁実中尉の辞世の句。〈靖国で会う嬉しさや今朝の空〉

日本は無謀な戦争に突っ込んだ。今読んでいる本、あとで紹介。

12.9 朝起きて朝刊で知る。昨夜青森県、北海道で大地震発生。

 夕方みずのわ社主とジュンク堂書店三宮店訪問、店長さんとお話。

1210 明日本会(本仲間の飲み会)の出欠締切日。多忙な年末ゆえ、皆さんギリギリまで調整してくれた様子。早々と出席返信の飲兵衛はヒマという訳ではなく、何よりも飲み会を優先、ということで。

 

栗林浩 『――戦後八十年――還って来なかった兵たちの絶唱』 発行:角川文化振興財団 発売:株式会社KADOKAWA 3200円+税



 著者は1938年生まれ、俳人・俳句評論家。

 戦後80年、日本は平和な時代を過ごしているが、世界では戦争・紛争で多くの人が犠牲になっている。

〈平和のために俳句が大きなことを成せるとは思わないが、この時機に、戦争で亡くなった俳人たちの俳句を通して、戦争を思い起こし、平和を確認することも必要ではなかろうか。戦場から還って来られなかった兵士たちの絶唱にも似た俳句を読み、当時の状況を再認識したいと思った。〉

 特攻兵、戦死者、行方不明者、抑留者、帰還後病死者……。戦犯、帰還者にも目を向ける。戦時中、厭戦・反戦の表現を弾圧した(虐めた)と言われる俳壇権力者の見直しも。

 特攻は志願と言われている。兵士は嫌とは言えない。祖国のためと決意する句が多いが、命令によって、と思われる句もある。昭和20622日沖縄周辺洋上にて戦死した原田栞少尉の句。

〈野畔(あぜ)の草召し出されて桜哉〉

(平野)

2025年12月7日日曜日

戦争の美術史

11.30 神戸市立中央図書館編集・発行「KOBEの本棚」111号(2025.11.20)で、拙著『神戸元町ジャーナル』で紹介いただいている。ありがとうございます。

20251125114538.pdf 



 図書館で借りた本。齋藤愼爾『周五郎伝 虚空巡礼』(白水社、2013年)。齋藤は若き挫折の時期、山本周五郎作品に救われた。これまでの周五郎研究をふまえながら、空白部分や疑問を追求する労作。



「朝日俳壇」より。

〈古書店のあの頃のまま秋の旅 (東かがわ市)丸山靖子〉

12.1 師走と言ってもヂヂイは慌ててすることは何もない。寒さに震えてトイレ回数増えるだけ。

12.2 午前中臨時仕事、久々。午後買い物。家人がよく「今日いいこと3つあったか?」と訊く。「悪いことはなかったから、それがいいこと」と答えている。今日はいいことあった。買い物でレジの人が親切、にこやかに応対してくれた。

12.4 昨夜から冷えて、冬用下着装着。

12.6 花隈の兵庫県古書籍商業協同組合で「もとまち一箱古本市」開催。書友のの様が出店するので会場覗く。よく知る古本女子たちも出店していて、本イベント常連本好きの皆さんが来ておられる。今日は本を買うのはではなく人に会うのが目的。

 

宮下規久朗 『戦争の美術史』 岩波新書 1360円+税



神戸大学大学院人文科学研究科教授。戦争に関する美術――絵画、彫刻、記念碑、写真、映画――を総称して「戦争美術」と呼ぶ。作品それぞれが、記録、戦勝記念、反戦・平和、死者追悼、さらに芸術性追求という多様な性格を持つ。

 人類の歴史のなかで戦争が文化・文明を推し進めてきたことは否定できない。武器開発から新しい技術や道具が生まれたし、道路が整備された。敵である異文化との交流も始まった。

〈文明を推進した戦争が美術と結びつくのは当然であった。実際、美術と戦争とは大きな関係がある。いずれも太古の社会から存在するが、美術が文化の成果を示す一方、戦争は美術を破壊して文明を停滞させるという真逆の結果をもたらした。美術は平和時にこそ制作されるが、戦争のたびに破壊されながら、戦争によって新たな題材を得て深化する面もあった。/戦闘の様子、兵士の肖像、戦地の風習を描く作品はいつの時代にも制作され、世界中の美術史を彩ってきた。それらの多くは戦争を否定的に捉えておらず、称えるものが多いが、近代になると反戦の主張を帯びるようになる。そして単に事実を記録するだけでなく、芸術としての力によって悲劇を記憶させ、人間のあり方や生死について考えさせる。〉

 現代の鑑賞者が作品を見て、作者の意図や時代背景や戦争の意味を理解できるとは限らない。

〈美術は、意味や目的によって作品の価値が決まるわけでもない。戦争美術でも、反戦を訴えたものが優れていて、好戦的なものやプロパガンダ(宣伝芸術)がつまらないとか、多様な意味をはらむ作品のほうが優れているなどとはいえない。そうした意味を超えて、どれほど戦争の真実に迫っているか、そしていかに訴える力をもっているかによって作品の価値は決まると私は考える。〉

 戦争画をタブー視せず、「反戦も好戦も美術史的に同一地平で考える」。

 いまやボタン一つで敵地に打撃を加えられ、攻められる側も防御する。無防備な無辜の人々の頭上から爆弾が降ってくる。それを無関係の人間は画面で見ている。無関係者には戦争が身近になっている。

 カラー図版約150点掲載。

(平野)ヂヂイは藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見た時、反戦画だと思った。当時の日本国民は殺戮の絵を死者への供養と拝んだ。

2025年11月30日日曜日

孤独

11.26 職場の部屋で使っていたモノが見つからない。出勤してカバンから出して使った。カバンに戻した、と思う。でも、ない。机の上やら椅子の下やら抽き出しやら、ない。どっか見落としているのだろう。次の出勤日にもう一度探すことにする。ボケている。

11.28 紛失物はヂヂイの足元から見つかる。なんでこれが目に入らなかったのか、やっぱりボケている。

11.29 家人と映画、「TOKYOタクシー」。孤独な高齢女性が過ごした一日。

 

『精選日本随筆選集 孤独』 宮崎智之編 ちくま文庫 1000円+税



 編者は1982年生まれ、文芸批評家。随筆は、常に身近にあるもの、間違いなく文学であり、随筆によって蒙を啓かれ、読書の深みへとはまってきた、と語る。「孤独」をテーマにしたのは、「随筆の趣を感じてもらうだいいちの入口として適したテーマ」と思うから。

寺山修司 「何しろ、おれの故郷は汽車の中だからな」

吉田健一は少年時代を海外で過ごした。フランスの田舎町でベルギー人に青年出会った。のちに彼は第一次世界大戦の戦争孤児だったと聞かされる。

川端康成「末期の眼」。なぜ芥川龍之介は死ぬことばかり考えつづけ、「或旧友へ送る手記」=遺書を書いたのか? 

大庭みな子はその川端の自死について、

……川端さんは随分昔から「死」のことをずっと考えてらして、忙しい毎日の中で、空いていたその時間に、またふっと「死」のことを思い出されたのだと、いうふうに思いました。〉

 幸田文、遠藤周作、小林秀雄、内田百閒、坂口安吾、森茉莉、正宗白鳥……が綴る「孤独」。

(平野)

2025年11月25日火曜日

転がるように 地を這うように

11.23 大阪梅田、友人夫妻とウチ夫婦でランチ会。おみやげに装訂家・俳人の最新句集をいただく。友人は著者と仲良し、京都であった出版記念イベントにも出席した由。ウチからのおみやげは元町駅前の豚まん。

 大相撲九州場所、ウクライナ出身の安青錦初優勝。花道で待つ付き人(涙)と抱き合う姿にヂヂイもジーン。

「朝日歌壇」より。

〈うるさいと誰も言わねどうるさくて図書室巡る熊除けの鈴 〈安中市)岡本千恵子〉

11.24 連休、家人と息子はそれぞれ予定あり多忙。ヂヂイは昨日のランチのみ。息子のみやげ菓子の包装紙がかわいいので文庫カバーにする。

 午後、ギャラリー島田の「石井一夫展」。帰り道に古本屋さんを覗く。一軒目は店主不在、二軒目は他店と共同出店している店舗の当番でお休み。そういうこともある。

 

木内昇 『転がるように 地を這うように 私の杖となった文学の言葉たち』 ちくま文庫 900円+税



 木内作家デビュー前のエッセイ集、2003年刊行『ブンガクの言葉』(ギャップ出版)を改稿、文庫化。「文学作品から一語を抽出する形で、随筆のような感想文のようなものを書こうと思ったのか、実は細かには覚えていません」。

 山本周五郎「青べか物語」、〈【かんのんさま】 この場合はお釈迦になる、と同意。使いものにならないこと。〉

相手の無理な要求や失敗を殺伐とした物言いで否定、攻撃するのではなく、やんわりと言葉を発する。「青べか物語」で、ビールをコップ一杯だけ注文する客に、瓶ビールを一杯だけのために開けるわけにはいかないから、「そんなことしたらかんのんさまだよ」と断わる。木内は「人の温度が宿った市井の言葉がもっと残っていれば、現代の、むやみに深刻ぶる日常や、腫れに触るような慎重な人間関係や、それが高じて生ずるしょうもない陰鬱な事件、そうした気持ちの悪いものがもうちょっと減るんじゃないか(後略)」と評論家的に考えていた。

新しい言葉遣い、新しい意味合いが生まれてくる。レコード店で女学生たちがCDを選んでいて、「あり得ない!!」と言い合う。彼女たちは「あまり好きじゃない」「それはどうかな?」くらいの柔らかい意味で使う。当時「あり得ない」はキツイ表現で使われていると木内は認識していた。また、喫茶店で若者の集団と隣り合わせていたところ、遅れてきた青年が詫びている。気まずい雰囲気の中、待っていた男性の一人が大声で「ったく、あり得ねぇ~」と発すると、場が一気に和らいだ。

〈古い言葉の美しさというのは忘れられるべきものではないが、それでも今を生きている自分には、今生まれている言葉を新参者とみなして頭ごなしに拒否するのではなく、その都度斟酌していく余裕が必要なのだな、ということを考えさせられた。〉

 

【出世双六】 アド・バルーン/織田作之助

【落莫】 風琴と魚の町/林芙美子

【道化】 人間失格/太宰治

【猪口才】 坊ちゃん/夏目漱石

【清浄無垢】 銀の匙/中勘助

【責苦】 木魂(すだま)/夢野久作

【端然】 母の上京/坂口安吾

【厄介】 さぶ/山本周五郎

【ネビッチョ】 浮雲/二葉亭四迷

【蔵む】(つつむ) 破戒/島崎藤村

【恬然】 カッパ/芥川龍之介

【道学者】 お目出たき人/武者小路実篤

【塩花】 おかめ笹/永井荷風

 他に評論、「厄除け詩集/井伏鱒二」、「ご馳走帖/内田百閒」、「月に吠える/萩原朔太郎」、「筑波日記/竹内浩三」。

「ネビッチョ」とは? 「ねびる」は、老人めく、若さがなくなるの意。「ネビッチョ」は「老成した人間を揶揄した言葉」。

 引用文献・参考文献のページに泉鏡花「外科医」があるのだけれど、本書には鏡花の項も鏡花の話もない。ギャップ出版版には、〈【褄はずれ】泉鏡花/「外科医」〉の一文があるよう。なぜ抜け落ちているのか、外したのかの説明もない。ないとなるとそれも読みたい。

(平野)

2025年11月22日土曜日

夏鶯

11.18 今日は歯科診療。帰宅して年末飲み会案内文作成。ぼーっとしていても飲み会は忘れない。

 記載忘れ、11.16「朝日歌壇」より。

〈窓に寄り子らは手を振るまた来てと絵本読み終え帰る私に (名古屋市)磯前睦子〉

〈どの店も薬缶湯気たて猫がいた百万遍の古書店街は (大和郡山市)四方護〉

11.20 飲み会案内を飲兵衛諸氏に送信。柄ではなのだけれど、依頼されていた文化基金応募推薦文をやっつける。頼りないヂヂイの推薦でよいのかしら?

BIG ISSUE515、特集「わたしの隣人 エスニックマイノリティ」。

 


赤神 諒 『夏鶯』 集英社 2300円+税

あかがみ りょう、なつうぐいす



慶応4111日(陽暦1868.2.4)西国街道神戸村三宮神社前で岡山備前藩の行列を外国人兵士が横切り紛争。双方が発砲し、外国人3名負傷。周辺地域と港を外国の軍隊が占領する事態になった。明治新政府初の国際外交事件。備前藩の砲兵隊責任者・瀧善三郎が切腹して収まった。「神戸事件」である。

本書は「神戸事件」をもとに「武士」の生き様を描くが、瀧善三郎について詳しい記録が残っていないこともあり、ほとんど創作。事件は「三宮事変」、藩名、人名すべて変えている。

吉備藩士・滝田蓮三郎は同藩家老・戸木(へき)家の家臣。父は砲術師、殿の御前で大砲試し打ちに失敗(のちに藩内の権力争いによる陰謀と判明)、責任を取り自死(餓死)。蓮三郎は文武に秀でた俊英、将来の藩を背負う人材と期待された。学問と医術の師・抱節は弟子たちに「世の春を告げる鶯となれ」と教育してきたが、蓮三郎は「鳳になる」と宣言。17歳で岡山城に出仕するも、故あって」死罪となるところを剣の師・尾瀬成之介が身代わりに切腹(読者は権力者の陰謀とわかるが詳細不明、最後に明かされる)し、永蟄居(無期懲役)。蓮三郎は故郷金谷(かなや)で幽閉の身、「大兀僧(おおがつそう、見苦しいほど髪を伸ばした姿)」と世間に蔑まれる。母、兄、幼なじみの尾瀬準之介・信乃兄妹に見守られ、晴耕雨読、農業研究、外国事情など勉学、医術に励む。近隣の若者らが学び、次第に認められていく。コロリ治療から感染、抱節に助けられる。その抱節がコロリで死亡。墓前で、準之介と信乃に語る。

「先生は、いつでも死ねる覚悟で毎日を生きとられたけど、俺は破れかぶれなだけじゃった。心のどこかで、じきに赦免が出て、鳳のごとく羽ばたいて、世の中を変えられると、未練がましゅう考えとった。じゃけど、現実は違う。生きながらえんのは、思い罰じゃった。(後略)」

 世に必要とされる日が来るか来ないか、天に任せる。今日その日が来てもすぐに役立てるよう胆を練り続ける、と。

「これより俺は、真の武士となるべく精進を重ねる。昔立てた志のとおり吉備一、天下一の武士になってみせる。鳳じゃーねぇ。抱節先生に敬意を表して、鶯じゃ。準さん、この金谷にゃーいつでも啼ける鶯が一羽いる思うてくれ」

準之介を通じて藩政に献策し難題を解決、縁ある京の僧侶や公家と交流する。恩赦の機会が訪れるたびに、権力者が邪魔をする。倒幕の機運が高まるなか、ついに15年ぶりに出仕が叶う。その任務は……

瀧善三郎がモデルということは、読者は主人公の最期をわかって読むことになる。重い罰を受けながら世に貢献し弟子を育てるが、恩赦は何度も立ち消えるという過酷な宿命を受け入れた。武士として命をまでさし出した。読み進めるのが辛い。

春啼く鶯が「夏鶯」? 切腹は冬だし。これも最後の最後でオチが着く。

著者は上智大学法科大学院教授、弁護士。「小説で町おこしをめざす歴史・時代小説の作家」(朝日新聞2025.11.18「ひと」欄)、大分、岡山、福井、群馬などを舞台に創作。本書の会話は岡山弁。



(平野)