2014年10月12日日曜日

映画少年 淀川長治


 荒井魏(たかし) 『映画少年 淀川長治』 岩波ジュニア新書 20008月刊(手持ちは0142刷) カバー他イラスト 也寸美

 淀川長治190998年)神戸市兵庫区西柳原の生まれ。生家は繁華街・新開地から徒歩20分ほどの座敷料理屋。兵庫は古くからの港町で、北前船など商船の拠点。

 長治の母は、夫とともに新開地の映画館で「活動写真」を見ている最中に産気づいた。映画は「馬鹿大将」というドン・キホーテをもとにした喜劇。
 裕福な家の跡取りとして過保護に育った。祖母、母、二人の姉に芸者さんたちに囲まれた繊細で内気な少年。密かな楽しみは廊下の戸袋に隠れること。小さな穴から入ってくる光が壁に当たって、外の光景が映っているのを発見する。

 映画は3歳頃から両親に連れられて見ていた。7歳になると一人で映画館、3本立てを週に3回。映像の素晴らしさ、物語に引きつけられた。。
 神戸三中に入っても映画館通いは続く。当時は中学生一人で映画館に行くことは禁止。監視に来ていた先生が映画に感動しているのを見て話しかけたり、先生にいい映画をすすめたり。ついに三中は映画館に一人で入ることを許可。長治は全校生で鑑賞する映画の選定を任された。
 試験のための勉強に熱は入らなかったが、英語は得意だった。アメリカの俳優にファンレターを書くために勉強した。映画によって、人間愛、恋愛、労働の尊さを知った。映画雑誌で各地の映画少年たちと交流するようになった。楽しんで学ぶことを心がけ、終生、「僕の学校は映画館」と語っている。

 進学で上京したが、大学には行かず映画館。

……映画は人間の鏡、人間の生きた教科書なんです。人間の美徳にしても、悪徳にしても、人間社会の問題にしても、自然に鏡となって写しだされてくる。そういうことを、僕は子どものころから教えられた。だから、こんな勉強、他ではできないと思った。大学で四年間勉強するなら、三年間映画を見た方がずっと勉強になると思った。……

 映画の世界で仕事をしたい。愛読誌『映画世界』に編集員募集記事を発見する。

 荒井は当時毎日新聞学芸部編集委員。出版局在籍時に淀川の著書を編集。
(平野)