2018年5月3日木曜日

五足の靴


 五人づれ 『五足の靴』 岩波文庫 460円+税

 森まゆみ 『「五足の靴」をゆく 明治の修学旅行』 平凡社 1600円+税
 

『五足の靴』は、与謝野寛と「新詩社」同人学生たち5人による九州紀行文集。1907(明治40)年夏、「東京二六新聞」連載。平野萬里、吉井勇、北原白秋、太田正雄(筆名木下杢太郎)は、詩歌誌『明星』に発表し、学生ながら歌人として名が知られていた。
 旅の目的は何だろう。新聞連載は寛が元記者という縁だが、新詩社として戦略があった。これまでも寛は若い同人たちと旅行をしている。「地方在住同人・愛読者との懇親と、『明星』の宣伝、新詩社の
勢力拡張策の一環」(宗像和重、文庫解説)である。当時の文学界は『早稲田文学』を拠点にする島崎藤村、田山花袋らの自然主義と、新詩社の浪漫主義が対抗していた。
『五足の靴』は長く埋もれていたが、戦後、野田宇太郎(詩人・評論家)が発掘。野田はこの紀行文集を、「南蛮文学の嚆矢」「異国情緒を発見」と評価する。野田は森鴎外記念図書館設立にも尽力した人物で、森まゆみは鴎外研究から『五足の靴』に着目する。森は地域文化記録・保存活動で知り合った人たちを訪ねながら、「五足」の足跡を丹念にたどる。

〈たしかにこの旅は、直接的には翌年の北原白秋の詩集『邪宗門』を生み、木下杢太郎の「長崎ぶり」「黒船」「桟留縞(さんどめじま)」などを生むのであるが、彼らの南への旅の憧れはどこから来たのか、(後略)〉

 森は、そもそも「南蛮文学」とは何かから始める。キリスト教が伝来して、日本は西洋文明に衝撃を受けただろう。禁教、迫害の歴史を経て、九州の地で信仰は続いてきた。明治になって禁教が解かれ、新しい西洋文明が日本に流入する。森は、「五足」たちに鴎外文学――特に翻訳『即興詩人』――とゲーテ『イタリア紀行』の大きな影響を見る。

〈西洋というものが日本に入ってきた時、人はその技術を学ぶのに躍起となり、それが「文明開化」であり、「殖産興業」であったのだろうけれど、知識人たちはその技術や思想の因ってきたる精神をも知ろうとして、キリスト教に関心を抱き、さらに日本にキリスト教がもたらされた十五世紀半ばに思いをいたしたのである。〉

「五足」たちはキリシタンの遺跡を巡歴し、土地土地の風景、人、歴史、風俗に親しむ。宿屋の汚れに閉口し、飲んで食べて、時にはしゃいだ。仲間の作品にも刺激を受けた。旅の体験はその後の文学活動の原点になった。
 旅の翌年1月、北原、吉井、太田を含む若手歌人7名が新詩社を脱退、与謝野寛と離れた。何があったのか。森は「あの人は詩人ではない」という言葉を紹介している。同年11月『明星』終刊。「五足」はそれぞれの道を進む。

(平野)