2018年5月20日日曜日

言葉の木蔭


 宇佐見英治著 堀江敏幸編 

『言葉の木蔭 詩から、詩へ』 港の人 3200円+税
 
 宇佐見英治(19182002年)、大阪市生まれ。詩人、フランス文学者。
 本書は生誕100年記念出版。戦中の短歌「海に叫ばむ」、ジャコメッティ(彫刻家)の思い出や宮沢賢治論など代表作の他、詩論、矢内原伊作(哲学者)、辻まこと(詩人、画家)、志村ふくみ(染色家)ら友との交流を綴る散文を収める。書名は「隻句抄 言葉の木陰」より。
 
「戦地へ携えて行った一冊――山本書店版『立原道造全集 第1巻 詩集』」
 宇佐見は出征のとき、万葉集と立原道造詩集を携行した。選んだ理由。
〈万葉集はいまなお通時的な意味で日本語の格調と力感の宝庫である。戦争が何度起きようと私が死のうと(実際今次の戦争で二百三十万人が戦死したが)万葉集が蔵している古代日本語の韻律と魅力は毫も損なわれまい。/しかし人はそれぞれの時代に生まれ、その時代の言葉で夢見、考え、その言葉のなかで死んでゆくものだ。立原の詩集は彼より四年遅く生まれた私の青春の日々を、その翳りと光を、他のどの詩人よりも、密かに私の心に語りかけてくるように思われた。それは私にとって最も身近な詩集であった。〉

 戦後50数年たって、宇佐美は詩集を読み返し、立原道造論を書く。
〈私は始めて読んだときに劣らず、いやそれ以上に立原の詩を新鮮に感じた。比類のない純真さ、優しさ、若々しさに心をうたれた。〉

 戦地に持っていた本と同じ本――友人から借りた昭和16年刊の詩集を机の上に置く。岩波文庫の万葉集とともに戦地でなくした本だ。
〈私は身の置きどころがないほどに一瞬狼狽し、机上に積みかさねてあった他の本の上にそっとその本をさりげなく置いた。さて数刻おいてその本を開いて読もうとしたが詩行とともに五十年前のさわめきが聞えてくるようでとても読めない。それでも数ヶ月の間に一度は通読し、数度覗いてみた。しかし元の位置にもどすと、本がいつしか視線を持ち、過去が私の所作を見つめているようでまことに落ちつかない。かつてこの本を外地で捨てたという思いが罪障のように五十数年わたしの脳裏に住みついているからであろうか。(後略)〉

 行軍の最中、なくしたのか捨てたのか、今となっては思い出せない。1996年、宇佐見は戦中に作った短歌をまとめ「海に叫ばむ」を出版。
……万葉集についてはあの歌集の出版で、いわば菩提を弔ったといえるかもしれぬ。/してみればたまたま立原道造の詩について寄稿を需められたとき、自分が応じたのは無意識に同じ思いがはたらいて、この小文も、あのときなくしたもう一冊を弔うためにここまで書いてきたのだろうか。そんな思いがわが胸を掠めた。〉

 敗戦間近、宇佐美はコレラにかかる。奇跡的に生還した。短歌とは絶縁する。

「海に叫ばむ 後記」
……戦争の衝撃があまりに強烈だったので、戦争と言葉、毎朝歌わされた「海行かば」の曲調、また先輩詩人や歌人が戦中にかけて次第に理性を失い、鬼畜米英というような語を詩人と称する徒が用いるようになったこと、韻律が蔵する魔力の放擲、定型詩のもつ本来の秩序と転結等について、反省し、なぜ日本の詩歌だけが非人間的戦争謳歌に向ったかを究めねばならぬと思ったからである。そのためには集団的狂気に抵抗しうる知的で高貴な、明澄な日本語を築きあげること、詩よりもまず散文を確立すること、それが先決であると思われた。〉(原文旧漢字)

(平野)宇佐見は兵庫県武庫郡精道村(現芦屋市)育ち、旧制神戸一中卒。
 新刊案内を見てメモしていたが、著者の本は初めて。本屋時代、みすず書房の棚に何冊かあったなあ、くらいの印象で恥ずかしい。で、思い出した。画家・古書愛好家からこの人の本をいただいて、本棚に入れたまま。奥の方にあった、重ねて恥ずかしい。