2019年10月8日火曜日

神戸モダンの女


 大西明子 『神戸モダンの女』 編集工房ノア 2000円+税
 
 

 著者は1947年岡山県生まれ、西宮市在住。高校教師退職後、大阪文学校入学。
 主人公・多津子はお姑さんがモデル。大正・昭和の時代、家族を支え、生きていく道を探し続けた。生まれ育ったのは現在の兵庫区東山市場近く。
 多津子の父はハイカラ趣味で、朝食はパンと紅茶、洋服は誂えもの、小学生の多津子をセーラー服で通学させる。休日には多津子を連れて、元町、メリケン波止場、大丸、ユーハイム……。港の荷役会社勤務だが、選挙運動に入れあげたり、株に手を出して失敗したり。あげく一人で上海に行ってしまう。母は「子どものまま大人になったような」人、子育ては祖父任せ。父の外遊中にめまいと吐き気で寝込み、精神的に不安定。気晴らしとリハビリ兼ねて花隈の置屋を手伝う。
 多津子はミッションスクール・松楓高等女学校に通う。英語、英国式家事、ダンスを学び、友人宅で神戸高商学生・石川と出会う。就職、ダンサー女性と知り合い、自分もダンサーになる。石川と結婚、時代は戦争に向かう。夫の父、兄が相次いで亡くなり、夫と共に群馬の旅館を経営(遺産の一部)。阪神大水害、神戸大空襲に遭わなかったが、長男病死。夫は自由人で、ハルビンに行ってしまう。
 戦後、一家は神戸に戻るが、父と夫の事業失敗。家族の生活はますます多津子にのしかかってくる。ダンサー先輩を頼って靴工場勤務。働く女性、在日の人たちの不遇を知る。叔父夫婦や幼なじみが助けてくれる。子どもたちのことを思い、家でできる洋裁の内職を始める。基礎は女学校で学んだし、英国式刺繍もできる。多津子の創意・工夫が評価され、ついに洋服仕立てで独立する。
 女学校の同窓会参加、自分のためにスーツを仕立てた。

〈二十年以上の空白を越えて参加する同窓会は、心が弾むというよりは少しだけ気が重い、戦争を挟んでそれぞれの生活は激変したに違いない。多津子も女学生の頃とは大きくかけ離れた所に立っている。けれども生きて行く根本的な考え方が松楓で培われたという気持ちは今も変わらない。〉

 長女が多津子と同じ女学校を卒業して就職。多津子が常々口にした「暮らしは低くても志は常に高く持って生きて行くのよ」に感謝して巣立つ。

 本書の「モダン」は流行や洋風趣味だけではない。時代に負けずに生きて行くこと。それに人のつながり。

(平野)
 余計な註。「松楓」は神戸松蔭女子学院。クラブ活動の洋画研究会講師・大磯は小磯良平。小磯は「斉唱」(1941年)で松蔭の女学生たちを描いている。群馬の旅館に静養に来るロシア文学者・外村百葉は中村白葉。人名・社名・店名は実名あり仮名あり。「暮らしは低くても志は常に高く」は18世紀末から19世紀のイギリス詩人・ワーズワースの詩の一節。
 本書も書名に惹かれて。

10.8 ギャラリー島田DM作業。夕刻から詩人さんたちのトークがあるのだけれど、本日は作業のみで失礼、家事がある。