2020年10月8日木曜日

ののの

  10.6 10.4「朝日歌壇」に常連入選者を心配する短歌が投稿された。自らの闘病を詠っておられた僧侶のこと。選者が彼が5月に逝去していたことを知らせている。本日の「朝日川柳」にそのことを詠んだ句あり。新聞投稿欄では見ず知らず人たちが濃やかにつながる。

 「みなと元町タウンニュース」338号着。拙稿「海という名の本屋が消えた 83」含め、こちらでお読みいただけます。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/2020/10/01/townnews338.pdf


 

 10.7 ヂヂイは読んだことのない作家を読むのにちょいと勇気がいる。書店員さんたちが推薦の言葉を寄せている。私たちが住む世界と私たちの不確かさ、不安定、途方のない奥行き、寂しさ、孤独、が描かれている、と。

■ 太田靖久『ののの』 書肆汽水域 1800円+税



「ののの」「かぜのまち」「ろんど」の3篇収録。

「ののの」とは何だろう。通学路の空き地に大量の白い本が遺棄されている。頂上にいつも鳥がいる。目がひらがなの「の」の形をした巨大な鳥。ケンジはその鳥を両眼から「のの」と名付ける。本の山は「のののやま」、それが「ののやま」になった。

クラス委員の野々山が学校をさぼっているケンジを心配して家に来た。二人は「ののやま」に登る。ケンジは父に教えられた言葉を言う。「何かを想像する時には、その想像のなかで自分が想像していないことが起こりうることを想像しておけ」。野々山は「想像しろ。体内に眠る言葉にお前の想像を追いつかせろ」、兄の死んだ場面、父の死んだ場面を想像しろ、と。野々山が突然巨大な破裂音を発し、舌を出して天を仰いで声を絞り出した。兄の死んだ後、「ののやま」で「のの」の甲高い鳴き声を思い出す。

 ケンジは不幸な事故で兄を、災害時に父を亡くした。母は実家に戻り、一人で生活。中学3年の夏休み最終日、同じクラスの・奥津さんと海を見に行く。どしゃ降りの雨、人気のホットケーキ屋に入る。奥津さんが、肉親が亡くなったこと、母親はどうしているのか、誰かに相談しているのか、と尋ねる。「気詰まりな沈黙が流れた」。

〈「もうすぐ学校も終わりだね。時間が経てば全部がちゃんと懐かしくなるのかな」とナイフを動かし、「ねえケンジくん、思い出になる出来事ってどういうものか知っている?」とホットケーキの欠片を口に放り込んだ。/「全然知らない」と感情を悟られないようにできるだけ冷たく言い放った。/「思い出になるのは、自分で思い出したことがあることだけだよ」(後略)〉

 ケンジは中学を卒業すると家の中華料理屋を再開した。いつの間にかもう一人のケンジが出現している。

「かぜまち」は東日本大震災・原発事故後の町を、「ろんど」は廃墟を舞台に。

(平野)