2023年5月30日火曜日

俺の自叙伝

  大泉黒石 『俺の自叙伝』 岩波文庫 1050円+税



 解説は四方田犬彦。本年4月に黒石の評伝『大泉黒石――わが故郷は世界文学』(岩波書店)を出版。

黒石、本名清(18931957年)、作家、ロシア文学者。「国際的居候」を自称、語学堪能。父アレクサンドルはロシア外交官。母ケイは下関税関長の娘、ロシア語習得。ロシア皇太子(大津事件のニコライ二世)と共に来日したアレクサンドルがケイを見初め結婚、中国漢口駐在。ケイは長崎で清を出産するが、死亡。清は小学3年まで祖母と暮らす。父を頼るも、すぐに死亡、叔母に引き取られる。父の故郷でトルストイに会う。モスクワの小学校、パリのリセに学び、帰国して鎮西学院中学。1915年ロシアに戻るが、17年革命で帰国。京都三高入学、結婚、退学、一高入学、退学。職業転々、屠畜業や革工場も経験。ロシア文学、トルストイ研究開始。18年シベリア出兵が始まると、シベリア東南部チタに滞在。翌年帰国、ジャーナリストとして活動。「中央公論」滝田樗陰に見い出され、19年「私の自叙伝」掲載。長崎を舞台にした幻想小説、『老子』、ロシア文学翻訳など流行作家になる。既存作家の嫉妬・誹謗中傷を受け、樗陰の急逝もあり、文壇から干されてしまう。貧困生活のなか紀行文を発表。軍国主義の世、その風貌から差別も受けた。戦後は進駐軍の通訳。

作家になって間もなく祖母が亡くなる。

〈狼の婆さんがとうとう死んでしまった。大体凶猛なくせに臆病で、毛だらけの顔に眼ばかり光らせて、年中空きっ腹の俺を、世間では狼と言うのだ。狼にだってお婆さんはある。あるから死んだのだ。お婆さんの死顔をつくづく眺めていると何だか俺も死にたくなってきた。生まれ落ちてから今日まで、このお婆さんの手一つで育った俺は、一度だってロクな目に遭わせたことがないのだ。(後略)〉

 長崎の寺にお骨を納めるのに旅費はなし。友人のツテで神戸・長崎間の航路をタダにしてもらう。みじめで悲しいが、嘘話を書けないことはない。

〈「今、私を乗せた船は、俄かに悲しい汽笛をあげて、疲れ果てた港の桟橋に着いた。しずかに憂鬱な春の宵は、懶く揺れる波の上から町をめぐる林の丘にかけて、青白い夢の翼に包まれている。(略)」/こんな哀れっぽくやっつけたら、田舎の娘にはもてるかもしれない。生憎、俺にはそんな生易しい思い出が見たくもないのだ。(後略)〉

 早すぎた無頼派か。

(平野)この作家を知ったのは1988年に全集(緑書房)が出た時。コーべブックスでは平積みしていた。今は亡きMさんが「大泉滉のおとっつぁん」と教えてくれた。読んだのは2013年『黄夫人の手』(河出文庫)。