2025年1月14日火曜日

冬と瓦礫 他

1.8 兵庫県の書店をまとめるモリ理事長(ときどき落語家)から作家講演会の案内メール。神戸出身の時代小説作家(ヂヂ愛読)の最新刊は阪神淡路大震災の体験を書いた作品で、読もうかどうしようか迷っていた。講演会案内もご縁、参加して読ませていただく。

1.9 孫電話、元気元気だが、年末年始のヂヂババサービスに疲れたかもしれない。彼女らにも彼女らなりの生活リズムがある。

1.10 みずのわ出版から最終ゲラ着。ヂヂのええ加減な原稿で彼に大きな負担をかけている。

1.11 花森書林、古雑誌引き取ってもらって、青山大介・谷川夏樹『神戸みなと物語 コンテナじいさんの見た神戸港』(シーズプランニング、700+税)購入。神戸市の小学生用副教材に採用されている絵本を一般発売。青山は鳥瞰図絵師で神戸港の歴史に詳しい。谷川は画家、コンテナをテーマに制作。



1.13 親戚大学生成人式、家族写真着。祝!

家人が元町で友人と待ち合わせのついでにBIG ISSUE494を買ってくれる。



午後、砂原浩太朗講演会(兵庫県書店商業組合主催)参加。顔なじみの関係者にご挨拶。著者は1969年生まれ、神戸元町育ち、海文堂はじめ地元本屋の常連さんだったそう。震災時は東京在住。新刊『冬と瓦礫』(集英社)は阪神淡路大震災直後、地元に駆けつけた体験を元にした作品。家族知人に大きな被害はなかった。甚大な不幸が報道されることは当然で大切なことだが、被害軽微な人々にも苦労・苦難があったはず。著者はそんな人たちにも目を配る。直接震災を体験していないという負い目もある。約1時間、神戸愛を熱く静かに語ってくれた。156年前に本書の原型にあたる作品が新人賞で落選し、そこから立ち直って……というエピソードも。



(平野)

2025年1月9日木曜日

もういいか

1.6 孫たち帰る。年末年始、ヂヂババは楽しく賑やかに過ごすごとができた。毎度別れは寂しい。でもね、ほっとするのも事実。祭りは終了。

 仕事始め。あいにく雨。

 本は、山田稔『もういいか』(編集工房ノア)。フランス文学者、小説家。鬼籍に入った学者仲間・文学仲間たちを偲ぶ随筆と短篇小説1篇。



 表題作は小沢信男(20213月死去)との思い出。山田の手許に手紙が残る。晩年はパソコンになったが、機械不調で手書きで「乱筆ごめんください」ということもあった。

〈たしかに跳んだり撥ねたりの踊るような文字で読みにくく、判読に苦しむ箇所さえあった。それでも息づかいがもろに伝わってくるようで、親しみがさらに湧いてくるのだった。〉

 最後の手紙は20207月、著書寄贈の礼と感想。「もはや文字がヨレヨレ」ゆえ印刷文字で許して、と。

〈ヨレヨレと言いながらも最後の、これだけは手書きの署名の文字は、何時ものように勢いよく撥ねていた。/小沢信男、当時すでに九十二歳。私はこのひとから三歩ではなく三年後からついて行くつもりだったのだ。しかし彼は十代のおわりに胸郭成形手術で肋骨を五本も失っている。その体でこれまでよく歩き、よく喋り、よく書いてきた。よく生きてきた。/もういいか。〉

1.7 図書館。山田稔の本で知った神戸ゆかりの画家評伝小説を借りる。秦恒平『墨牡丹』(集英社、1974年)、中央図書館にちゃんとある。

(平野)

2025年1月4日土曜日

書楼弔堂 霜夜

1.1 早朝氏神さんにお参り。祈りは世界平和と家内安全。

孫たちのパパさんは体調不良でダウン,来神できず。孫たち滞在延長。ヂヂはマイペース寝正月。

1.4 孫たちのお伴で須磨シーワールド(水族館)。神戸市立から民間運営になっている。当日券販売所は大行列、それも13時入場分。私たちは予約していて、すんなり入れたものの既に満員。

京極夏彦『書楼弔堂 霜夜』(集英社)。明治の東京、郊外にある書舗「弔堂」には古今東西の書物、雑誌が揃う。主人は元僧侶らしい。主人曰く、書舗は本の墓場であり、自分は墓守、縁ある人に本を手渡す。ところが、この書舗は住所不明、なかなかたどり着けない。近くの茶店の親爺も行ったことがないけれど(引退した元の主は何度も客を案内したらしい)、そこへ向かう横道の入口は知っている。横道は寺に続いていて、その途中には「弔堂」しかない。

〈「ただ、この弔堂、かなり大きな建物なのに、どうも見逃されがちなんだそうでしてね。大抵は行き過ぎる。でも、でもですよ。行き過ぎても終点には寺しかないんですわ。寺まで行っちまったら、それは見過ごしてるんです。なら戻ればいい。その一本道の途中に」/――必ずある。〉

 シリーズ最終巻。これまでは書物のことや自らの作品、学問、生き方に悩んだ名だたる人物たちが訪れて、店主にヒントをもらい、書物を手渡された。今回その「弔堂」が店を閉めることになる。印刷活字の元になる書体をデザインする若者・甲野を中心に話が進む。出版、印刷、製本、製紙、流通など、書物をめぐる産業が近代化していく。弔堂主人が読者、購買者、図書館を含めた出版の世界、読書の将来を語る。

〈「既に明治の世も四十一年。私が弔堂を開いた頃と現在では、書物の在り方も大きく変わっております。出版、取次会社、印刷所、製本所、そして小売りの本屋という形で版元の分業はほぼ形を整え、流通も大きく変わりました。印刷や製本の技術も改良され、部数も格段に増えた。少なくとも新刊本に関してましては、望みさえすれば何方(どなた)様でもお求め戴けるようになったので御座います。旧幕時代のことを想うに、隔世の感が御座います」〉

 活字、印刷の技術・品質も格段に向上し、さらに改良されるだろう。出版点数が増え、販売の業態も完成し、売り手、買い手も選択肢が増える。本を買えずとも持てずとも、その存在を知り、図書館を活用することもできる。

主人はじめ登場人物たちの意見は当然著者のもの。書物の一番の敵は戦争、書物は商材だが「それはあくまで、本と人とを繋ぐための仕組み」、「需要あっての供給」、権力の庇護下に入ることは得策ではない、「書物は何ものからも自由」、「悪書良書と選別することも名作駄作と格付けすることも無意味」、「押し付けるかのように売ることも、悪手」、「内容を規制し統制するなど以ての外」、「選ぶのは、あくまで手にした者」、だからこそ「書物を送り出し世に問う者の資質は、大きく問われる」、それは「志を持つこと」であり、時代とともに「変わって行くべき」。

さて、今回の準主役・甲野は何か問われるたびに自分は田舎者とへりくだる。あまりに頻繁で、とにかく逃げ腰に見える。だが、彼には故郷に残した家族への思いがあった。それも解決に向かう。



(平野)

 

2025年1月1日水曜日

新年御慶

  新年の御慶を申し上げます

二〇二五年 令和七年 乙巳 元旦

皆様のご健康をお祈りいたします

小生巳年七周目に突入です。五周目あたりまで「大器晩成」と大法螺を吹いておりました。「老子」の原文は「未完成のものほど偉大」という意味だとか。改めて未完のままにょろりのろり過ごしてまいります。

本年もよろしくお願いします。

  


      

兵庫区、和田神社の神使・白蛇

 (平野)