2025年1月4日土曜日

書楼弔堂 霜夜

1.1 早朝氏神さんにお参り。祈りは世界平和と家内安全。

孫たちのパパさんは体調不良でダウン,来神できず。孫たち滞在延長。ヂヂはマイペース寝正月。

1.4 孫たちのお伴で須磨シーワールド(水族館)。神戸市立から民間運営になっている。当日券販売所は大行列、それも13時入場分。私たちは予約していて、すんなり入れたものの既に満員。

京極夏彦『書楼弔堂 霜夜』(集英社)。明治の東京、郊外にある書舗「弔堂」には古今東西の書物、雑誌が揃う。主人は元僧侶らしい。主人曰く、書舗は本の墓場であり、自分は墓守、縁ある人に本を手渡す。ところが、この書舗は住所不明、なかなかたどり着けない。近くの茶店の親爺も行ったことがないけれど(引退した元の主は何度も客を案内したらしい)、そこへ向かう横道の入口は知っている。横道は寺に続いていて、その途中には「弔堂」しかない。

〈「ただ、この弔堂、かなり大きな建物なのに、どうも見逃されがちなんだそうでしてね。大抵は行き過ぎる。でも、でもですよ。行き過ぎても終点には寺しかないんですわ。寺まで行っちまったら、それは見過ごしてるんです。なら戻ればいい。その一本道の途中に」/――必ずある。〉

 シリーズ最終巻。これまでは書物のことや自らの作品、学問、生き方に悩んだ名だたる人物たちが訪れて、店主にヒントをもらい、書物を手渡された。今回その「弔堂」が店を閉めることになる。印刷活字の元になる書体をデザインする若者・甲野を中心に話が進む。出版、印刷、製本、製紙、流通など、書物をめぐる産業が近代化していく。弔堂主人が読者、購買者、図書館を含めた出版の世界、読書の将来を語る。

〈「既に明治の世も四十一年。私が弔堂を開いた頃と現在では、書物の在り方も大きく変わっております。出版、取次会社、印刷所、製本所、そして小売りの本屋という形で版元の分業はほぼ形を整え、流通も大きく変わりました。印刷や製本の技術も改良され、部数も格段に増えた。少なくとも新刊本に関してましては、望みさえすれば何方(どなた)様でもお求め戴けるようになったので御座います。旧幕時代のことを想うに、隔世の感が御座います」〉

 活字、印刷の技術・品質も格段に向上し、さらに改良されるだろう。出版点数が増え、販売の業態も完成し、売り手、買い手も選択肢が増える。本を買えずとも持てずとも、その存在を知り、図書館を活用することもできる。

主人はじめ登場人物たちの意見は当然著者のもの。書物の一番の敵は戦争、書物は商材だが「それはあくまで、本と人とを繋ぐための仕組み」、「需要あっての供給」、権力の庇護下に入ることは得策ではない、「書物は何ものからも自由」、「悪書良書と選別することも名作駄作と格付けすることも無意味」、「押し付けるかのように売ることも、悪手」、「内容を規制し統制するなど以ての外」、「選ぶのは、あくまで手にした者」、だからこそ「書物を送り出し世に問う者の資質は、大きく問われる」、それは「志を持つこと」であり、時代とともに「変わって行くべき」。

さて、今回の準主役・甲野は何か問われるたびに自分は田舎者とへりくだる。あまりに頻繁で、とにかく逃げ腰に見える。だが、彼には故郷に残した家族への思いがあった。それも解決に向かう。



(平野)