2016年4月28日木曜日

出版アナザーサイド


 藤脇邦夫 『出版アナザーサイド ある始まりの終わり 19822015』 本の雑誌社 201512月刊 1600円+税

 著者は1955年広島生まれ。業界誌を経て82年白夜書房入社し、営業マンながら出版企画、編集に参加。他の雑誌に書評を寄稿し、小林信彦研究本、出版論の著書もある。昨年定年退職。
 前職時代、同社の雑誌「ウィークエンドスーパー」(「感じる映画雑誌」のキャッチコピー、ヌード、ビニ本紹介)が目にとまる。荒木経惟、南伸坊、赤瀬川原平らが登場していた。81年夏、新雑誌「写真時代」創刊の広告が掲載された。

《発売日は今も憶えている、1981721日。隔月刊の9月号として創刊号は発売された。その日にいつも言っている書店に行くと、どこも売切れていて、やっとどこかの書店で表紙が半分折れているのを入手した。
 現物を見るとやはり画期的だった。写真雑誌の体裁をしている「ウィークエンドスーパー」のようにも思えないでもなかったが、写真雑誌にしてはエロが強く、エロ本にしては芸術的に見えるページもある。新しい雑誌の時代を告げるに相応しい雑誌だったことは間違いない。》

 同誌821月号に「編集スタッフ募集」の1行を発見、履歴書を送る。
 白夜書房といえば末井昭という有名編集者がいて、アダルト雑誌やパチンコ雑誌の印象が強いが、写真集、映画・音楽の書籍も出版している。藤脇は見習い期間中営業で書店回りをする。営業担当者が退職して、「写真時代」編集で採用のはずが「いつの間にか書店営業を自分が担当するような雰囲気」に。自分は書籍志望だし営業が企画を出してもよいということで、そのまま営業担当になる。書店営業をしながら、好きな音楽や映画の本を企画し、そこから人のつながりができて次の本の企画が立ち上がる。他社の編集者、作家、翻訳編集プロダクション、音楽業界の人たち、それにミュージシャン本人。
 事前予約で完売した豪華本もあれば、収支トントン、赤字もある。82年出版『ザ・ビートルズレポート』(竹中労著、1966年「話の特集増刊」を復刊)は赤字だった。

……営業会議で、「いろいろと書評も出て、内容的には評価されたんですが」と赤字に付いて弁明していると、社長から「何だ、褒められただけか」の一言で片付けられ、返す言葉もなかった。しかし、この言葉は今考えても大きな意味を持っている。商業出版は利益を出すことが最終目的で、評価など二の次。(中略)売れない自己満足な本より、利益を出す本を作りだすことの方が、企画も販売も高度な技術を要求されるわけで、入社早々、企画した本が思いもよらぬ結果となって、社内的にも、個人的にも発送の大転換を迫られることになった。(後略)》

 藤脇は自らの企画成功打率を60%前後と分析している。しかし、ある年のコミック60冊のうち2冊が赤字になって、始末書を書かされた。別の本では500万円の赤字を出して興奮した社長に叱責されたこともある。シビアである。商業出版である。
 自分の思い入れのある本を作りたい、他社が絶対に刊行出来ない本を作りたい、しかも採算が取れ、収益を出さなければならない。
「そうでなければただの遊びにすぎない」

《この本は自分の勤務していた会社の社史を書くのが目的ではなく、出版業界の中での自分史といった視点で書いたつもりだが、やはりこの会社にいなければ実現できなかったことがほとんどだった。それは今から考えるとさらにはっきりわかることで、適度にアナーキーでありながら、利益最優先という方針が、この本でふれた、すべての本の出版を可能にしたのだと思う。それは僕が常々言っている、98%が運で、残りの1%が才能、あと1%が努力という典型的な例といってもいい。》

(平野)荒木経惟の写真集に力を入れた京阪神の書店として、旭屋書店、紀伊國屋書店とともに海文堂書店とコーべブックスの名がある。私は三宮ブックスにいた頃で、お名前しか存じ上げない。