2019年9月22日日曜日

天丼かつ丼牛丼うな丼親子丼

 飯野亮一 
『天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼 日本五大どんぶりの誕生』  
ちくま学芸文庫 1200円+税
 
 

 著者は食文化史研究家。
 熱いご飯の上におかずをのせて食べる。おかずとご飯を別々に食べてもおいしいけれど、一緒に咀嚼するといっそうおいしい。
 うなぎの蒲焼をのせる、天ぷらをのせて天つゆをかける。牛鍋の肉をのせる。鶏肉を出汁と卵でとじてのせる。同じく出汁と卵でとじたとんかつをのせる。おかずをご飯にのせるまで長い時間がかかった。熱々のご飯のおかげでおかずも保温された。おかずの旨みがご飯にしみてさらにおいしくなる。
 私たちの先祖は仏教の教えで肉食の習慣がなかった。キリスト教伝来と共に肉を食べるようになって、禁教でまた食べなくなった。
 鳥類では野鳥は食べていたが、鶏は食べなかった。でも、鶏卵は高級品だった。徳川吉宗の時代、野鳥が減り、代わりに鶏が食用になったが、養鶏技術は未発達だった。食用では鶏卵のほうが格上だった。「鶏と鶏卵は身分が違っていた」のだ。身分違いの親子が出会うのは明治になってから。身分制度と親子丼誕生に関係があるのか? 
 日本歴史上、確実な証拠のある「親子丼」登場は、神戸元町のうなぎ屋「江戸幸」。明治1796日「大阪朝日新聞」に広告が出ている。
 池波正太郎の小説で、うなぎは裂いて蒲焼になる前はぶつ切りで焼かれていた、と知った。蒲焼になったことがうな丼誕生の第一段階と言える。天丼の前には天ぷら茶漬けがあった。牛丼ブームのきっかけは関東大震災。かつ丼の場合は、まず洋食の普及が不可欠だった。一旦普及すると洋食屋だけではなく、町の安い食堂、そば屋、家庭料理にも進出、とスピードアップ。丼物のエピソードがたくさん。うまいのが勝ち!

(平野)親子丼の鶏肉卵とじとご飯を別の器に入れて出すのを「親子のわかれ」と言う。「他人丼」なら「他人のわかれ」。はじめて聞いたときはそのセンスに驚いた。
 
 9.21 午前中、図書館。午後、三宮ブックス村田社長からギャラリー島田での本販売の請求書を預かる。昔馴染みのうどん屋さんでランチご一緒、ご主人も女将さんもお元気。本屋さんで文芸評論と古書ミステリー購入し、編集工房ノアの本を注文。
 9.22 請求書持ってギャラリー島田。島田社長も村田社長も昭和戦前生まれながら現役経営者だ。心身と強い、お元気。私は先輩方の間でウロチョロしている。