7.22 訃報、作家・高史明、歌手のトニーベネット。
7.23 本日大暑。
「朝日俳壇」より。
〈広辞苑曝書もされず眠りをり (日立市)奥井能哉〉
「朝日歌壇」より。
〈休刊の記念に買った週刊誌復刊望み切に保管す (戸田市)椎橋重雄〉
■ 『対談 日本の文学 作家の肖像』 中央公論新社編
中公文庫 1200円+税
同社創業八〇年記念出版『日本の文学』(全八〇巻、1964~70年)の月報掲載の対談・鼎談をまとめ、71年単行本。文庫化に際して再編集、『対談 日本の文学』全三巻完結。
全集編集委員は、谷崎潤一郎、川端康成、伊藤整、高見順、大岡昇平、ドナルド・キーン、三島由紀夫。刊行中に谷崎、伊藤、高見が鬼籍に入り、完結してすぐ三島自決。72年川端自死。生存者のひとり大岡昇平が懐古。
〈幾度か回を重ねた編集委員会は、必ずしも平穏ではなかった。むしろ荒れ模様の時の方が多かった。それぞれに一城の主であるから、独自の文学観、文学史観と、個々の作家の
評価について、見解を持っている。(中略)喧嘩になった時の眼付とか、頬や額の色とか、同意に達した時の笑い声とかが、特に今は亡い同僚について、思い出される。〉
前に触れた三島の松本清張拒絶のことだろう。
三島は「稲垣足穂の世界」で澁澤龍彦と対談。足穂に会いたくない理由を二つ語る。
ずっと愛読しているから「稲垣さんを、いまだに、白い、洗濯屋から返ってきたてのカラーをした、小学校の上級生だと思いたいんですよね、どうしても」。
「もう一つは、非常に個人的な理由ですけれども、僕はこれからの人生でなにか愚行を演ずるかもしれない。そして日本じゅうの人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない。(中略)ただ、もしそういうことをして、日本じゅうが笑った場合に、たった一人わかってくれる人が稲垣さんだという確信が、僕はあるんだ。僕のうぬぼれかもしれないけれども。なぜかというと、稲垣さんは男性の秘密を知っているただ一人の作家だと思うから」
三島自決はこの対談の半年後、全集完結の次の月。
(平野)