2014年2月10日月曜日

わいらの新開地


 【海】史 番外(4

 林喜芳 『わいらの新開地』 冬鵲房 1981年 絶版

表紙絵:小松益喜  本文カット:浅田修一

 
 


 林喜芳19081994)、神戸市湊東区(現在中央区)東川崎町生まれ。小学校卒業後、市役所給仕、印刷工。視力が弱く退職、露天商人になるが、戦争中の企業整備令(経済統制で中小企業・商工業者は強制的に統廃合処分された)により廃業。戦後、雑貨・肌着販売、印刷会社営業など。著書『香具師風景走馬燈』、詩集「露天商人の歌」など。
 生まれ育った湊川新開地=寂れゆく街に愛着がある。

目次
こまぎれフィルム  大正時代の正月  おみくじと辻占  新開地の歌  名も芳しかった楠公ハン  横溝正史のことなど  川崎造船大争議のころ  福原遊廓素通り  午砲とアイスクリン  秋の夜のちらちら屋  誓文払いのこと  聚楽館のこと ……

――「新開地の雑踏と、いまの「三宮」の混雑とでは人とモノの違いを感じる。温かさと冷たさの差がある。「むかしはノンキやったからいい。」と言う人もあるが、生きんがための心構えと努力はむかしの方が深刻だった。努力なしでは生きてゆけなかった。労働時間は長く、しかも条件は過酷だった。それに耐えて生きぬいた。それを支えて新開地の映画や寄席があり、大衆食堂があり、安酒があった。民衆の表裏一体感、それはいとしいような感激である。――

「働き人(はたらきど)」少年にとって新開地の賑いやモダンな建物は、「希望であり憧れであり、励ましの鞭」だった。
 

 神戸市消防局の雑誌『雪』連載。

 林の詩から。
「古本を売ってみる」『露天商人の歌』より)

露天商の気やすさから 
今日は公園に出て古本を売ることにした
ながい間 安本を買いあさり読みふるしたものを売ってみる
一冊 一金十円也
芥川龍之介や 
堀辰雄や 
嘉村いそ多や
ご本人にはまことにお気の毒ではあるが
手垢でよごれ 紙がすゝけて 
市場価値としては先ずこんなもの
それでも めったに人は立ちどまらぬ
たまに足をとめる人もあるにはあるが
見下ろすだけで手にもとらない 
何ンと失敬な奴だろう
僕が腹を立ててもはじまらない
著者も書籍の中から眼をむいてゐるだろう
「おっさん もっと面白いのン無いのンか?」
(これが本当の声らしい)
苦笑するボクの顔を尻目にして
客は足早やに去(い)てしまった
何ンのことない 全くの虫干しである
月の陽ざしがいやきつく
風はまともに強いので
本は砂で埋まり
ボクの口から耳の穴までザラザラになる

こんなにしてようやく売上げ二百円也
煙草をすって コーヒーのんで
おひるがわりにパン二つ
これでバランスシートが零(ゼロ)になる
それでも今日の客だけは
どうやらボクの下手糞な商売に
理解のある人たちのような気がする
妙なところに理屈をつけて
重い荷物を背負って帰った
――あゝ 芸術も大衆の前に非力か――



(太字部は原文傍点)『神戸の古本力』(みずのわ出版、2006年)より引用。
 
 
 小林が記憶している林のこと。
――「ど」のつく近眼で、ほとんど目は見えなかったのではないでしょうか。なめるように文字を読んでおられました。ご苦労されたせいか、大変謙虚でとつとつとお話される方です。兵庫弁のきちんと使えるひと。――

「ブルーアンカー」の誌名も林の文章から発想を得た。 
 
(平野)
 
『ほんまに』、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店の陳列どえす。特派員がご了解を得て撮影いたしました。