2014年2月3日月曜日

忘れえぬ声を聴く


 黒岩比佐子 『忘れえぬ声を聴く』 幻戯書房 
2400円+税

 201011月、膵臓癌のため死去。

 単行本未収録の文章をまとめる。大文字の歴史のなかで忘れられてしまった人たちの小さな姿を掘り起こす。
 
歴史と人間を描く――遺稿 より

 多くの「友人」がいた。何せ明治大正のことを題材にしているのでほとんど70代以上。最高齢はジャーナリスト・むのたけじ(1915年生)。彼に聞き書きもした(『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)。むのは彼女の「肩書」=ノンフィクションライターを「おかしいから変えたほうがいい」と言った。
 
――ノンフィクションという言葉は、フィクションではないと言っているにすぎず、ほとんど意味がない。それより「ヒストリーライター」のほうがいい、と言う。……――
 
「ヒストリーライター」は世間では通用するだろうか。黒岩は言葉を濁して、肩書きの話を終わらせてしまうが、それをきっかけに「自分が何を書こうとしているのか」を真剣に考えた。興味を持ったことを自由に書いてきた。

――私が自信をもって言えるのは、「人間を描きたい」ということだ。人間ほど面白いものが他にあるだろうか。――

 最初の「評伝」(『音のない記憶――ろうあの天才写真家 井上孝治の生涯』、文藝春秋1999年、のち角川文庫。共に品切)を完成したとき、「多くのお金と時間を費やして大量の原稿を書き上げた挙げ句」、多額の赤字を出した。

――だからといって、発信せずにいていいのか。気になる過去の人物が、誤解と偏見に満ちたイメージを抱かれているとわかった場合、それを見過ごしていいのか。過去に生きた人々は、どれほどひどく書かれても、反論することはできない。あるいは、過去に優れた業績を成し遂げながら、歴史の闇に完全に葬られてしまった人物もいる。/そうした人物に光を当て、いや、伝えなければならない、といういわば義憤のようなものが、私を評伝執筆へと駆り立てることになった。――
 
「歴史と人間を描く」201012月から西日本新聞に連載予定だった。急死で遺された10回分と11回目予定だった[断片]が翌年5月に掲載された。

[五行空白](未完)の活字が悲しい。

――そして悟った。平凡な人生などないのだ、と。――
 


 
 

「人生最後の一冊」は「読書のすすめ 第12集」(岩波文庫 2008年 無料配布)に寄稿した文章。読書体験、評伝作品について語る。
 国木田独歩は20代で名著を書いた。彼の年齢より自分は長く生きている。「百年後まで読まれる本をお前は書いているのか」と問われていると思う。「生きているうちにあと何冊の本を書けるだろうか。何人の生涯に伴走して、その評伝を本にすることができるだろうか」。

――最近、人生の残り時間が気になってきた。人間は誰も永遠には生きられない。一日生きれば、残りの人生から一日が減ったことになる。人生で読める本の冊数も、少しずつ減っていくわけだ。(略)読むべき本を読まないまま死んでいくのは、やはり悔しい。――

 死期がわかれば綿密な読書計画を立て、読むべき本のリストをつくる。人生最後の一冊を考える。

――最後の一冊の最終頁を読み終えて、満ち足りた思い出この世に別れを告げる。私にはそれが最高に幸福な人生だと思える。ほかに何も望みはないが、墓碑銘にこんなふうに彫ってもらえたらうれしい。
「本を愛し、臨終の瞬間まで本をはなさなかった」と。――
 
装幀:間村俊一

黒岩さんのブログ「古書の森日記」は断続的ながら有志によって今も書かれている。


 彼女の著作は品切が何点も出てきている。読み継がれてほしい。

(平野)