2020年6月30日火曜日

カツベン


 6.29 京都「古書善行堂」に注文した新刊本2冊届く。大きな本屋さんでも在庫していない本。ありがとうございます。
「古書片岡」のことで記者さんから問い合わせ。用件より無駄話ばっかりするボケヂヂイ。
 季村敏夫編 『カツベン 詩村映二詩文』 みずのわ出版 2700円+税
 
 

 詩村の詳しい経歴はわからない。本名、織田重兵衛。1900(明治33)年生、1960(昭和35)年没。丁稚奉公の後、活動写真弁士。

〈巷(どべた)のひとであった。高等教育の鎧を離さないインテリ(えらいさん)から隔絶したマージナルな場所、江戸期の遊芸の息が踊る新開地、湊川が根城だった。「舌三寸を資本にお喋り人生のスタート」を切った口舌の輩。皇国日本が隣国に対し、強国として侵略を重ねる時代、鼻ではなく口で呼吸するものとして、身振り手振りでまくしたて、汗で湿っぽいオザブから立ち上がるねえさんの歓声をよすがとした。周囲はマージナルなひとびと、その日稼ぎの香具師、アナキスト、バラケツ、フラテン(ちんぴら)、掏摸(チボ)、博奕打ちなどがうごめいていた。〉

当時の人気弁士は「美文調の情緒テンメンたる説明で青白きインテリに拍手をもって歓迎」されていた。詩村は、「神戸弁丸出しの駄洒落をぶっ放して熱演」「拍手爆笑鳴り止まず」。
 昭和初め、映画は無声からトーキーに転換、映画館では弁士、楽士、技師他従業員解雇紛争が起き、詩村は姫路で労働争議に関わった。
 詩村初めての詩寄稿は「早春」(『風と雑艸』3号、昭和54月)。

〈初午のドンドン(原文くりかえし記号)太皷に/おどろいて/ポトリと落ちた/紅椿……//ああ、春は、そつと/誘惑をふくんで/近づいている〉

季村は「活弁のリズム」を感じ取る。

〈表紙写真には詩村映二とサインがある。詩の村、なんという気負い、無声映画から映画一字を抜き捕っている。活弁士の稲妻捕り。活動小屋で生きる日々に自ら命名したとは微笑ましいではないか。(後略)〉

 1940(昭和15)年3月、詩村は神戸詩人事件(シュールリアリズム詩誌『神戸詩人』同人たちが治安維持法違反容疑で逮捕)で検挙。翌年12月(真珠湾攻撃翌日)詩村は反戦容疑で再度検挙。戦中の足跡は不明。戦後、焼け跡の湊川公園で戸板に古雑誌やゾッキ本を並べて売っていた。翻訳や探偵小説出版も。

 季村は詩人、兵庫県詩誌・詩史研究の著作も。いつもながら貴重な資料を発掘し、読み込む。本書でも公開。不思議なことに関係者や友人たちあちこちから資料が集まってくる。

(平野)