12.14 午前図書館。司書さんに「アサヒグラフ」所蔵しているか質問すると、朝日新聞データベースの使い方を教えてくださり、昭和4年分を探す。希望の記事入手。みんな親切。写真、「西村貫一 蔵書標に表れた言葉」(「アサヒグラフ」1929(昭和4).10.23号)より。
午後区役所。パートの最低賃金が上がったので国民健康保険から社会保険に移行手続き。案内の人も窓口の人も優しく丁寧。
12.15 仕事そこそこに(ちゃんと働きました!)明日本会の忘年会。4年ぶりに大阪組メンバーも集まる。みんな4年間辛抱したね。もっと頻繁に飲み会をという声(呑兵衛め!)多数あり、次回は桜の咲く頃に、と約束。
12.16 昨夜忘年会でセーラ編集長に教えてもらった本、海文堂が登場する小説、本屋さんにありました。孫の本と一緒に購入。
12.17 「朝日歌壇」より。
〈街なかの丸善に書を買いにゆく翡翠(かわせみ)色のクロスバイクで (京都市)中川大一〉
「朝日俳壇」より。
〈無頼派の作家を惜しむおでん酒 (伊賀市)福沢義男〉
〈半焼けの表紙の女優焚火跡 (栃木県壬生町)あらゐひとし〉
〈気に入りの本と毛布と同じ椅子 (阪南市)春木小桜子〉
〈一ページめくるが如く冬が来る (長岡京市)寺嶋三郎〉
12.19 今週は臨時出勤あり、有給休暇あり、忙しいのか暇なのか、ようわからないけれど、何やかや用事を言いつけられて、やっぱり忙しい。孫にクリスマスプレゼント送る。
■ 岡本綺堂 『綺堂随筆 江戸っ子の身の上』 河出文庫
900円+税
江戸の芝居話、旅の随筆、従軍記者時代の取材、中国の怪奇話。
名優の弟子で将来を期待された美少年のその後。日本初のインフルエンザ流行。毎年訪れる温泉宿の若い女中たちとの交流。従軍記者の危険、中国善良な苦力(クーリー)たちの思い出などなど。
「お染風」
〈この春はインフルエンザが流行した。/日本で初めてこの病が流行り出したのは明治二十三年の冬で、二十四年の春に至ってますます猖獗になった。我々はそのインフルエンザという病名を知って、それは仏蘭西の船から横浜に輸入されたものだと云う噂を聞いた。しかしその当時はインフルエンザと呼ばずに普通はお染(そめ)風と云っていた。(後略)〉
なぜ「お染風」か? ある老人の説では、江戸時代によく似た症状の感冒が流行して、その時に誰とは知らないが「お染」と名付けた。綺堂は、歌舞伎・浄瑠璃の「お染久松」の「お染」と推理。お染が久松に惚れたように恋にすぐ感染することから。事実二十三~二十四年には「久松留守」という貼り札が流行した。「お染御免」というのもあった。その後の流行では「お染」は絶えたようだ。明治三十五年、綺堂の父はインフルエンザで亡くなった。
(平野)