2023年8月11日金曜日

鶴見俊輔 混沌の哲学

8.6 「朝日歌壇」より。

〈父の日の図書カードもてもう一度読まんと「御宿かわせみ」購う (観音寺市)篠原俊則〉

 台風が中国大陸に行くと見せかけて沖縄に戻り九州に向かう。

 花森書林、家人の雑誌20冊ほど引き取ってもらう。

8.7 娘と孫二人帰省。52歳台風並の勢力。ちょうど帰ってきている息子=叔父に遊んでもらおうと、ひっつきまっつき。

8.9 仕事先の住民さんたちは老管理人を気遣ってくださる。ありがたい。

8.10 猛暑のなか、観光客グループ大勢。

ギャラリー島田DM発送作業。ギャラリーは夏期休暇に入り、次回は92日から。

「みなと元町タウンニュース」Web版更新。

https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/townnews/

 

 高草木光一 『鶴見俊輔 混沌の哲学 アカデミズムを越えて』

岩波書店 3400円+税



著者は慶應義塾大学名誉教授、社会思想史研究。

 鶴見は戦後民主主義を代表する在野の哲学者。安保闘争、大学闘争で大学教授の職を捨てた。社会運動・市民運動に積極的に関わり、研究対象は思想、文学、芸能、サブカルと幅広い。自らを「悪人」と言い、「耄碌」と語る。右翼思想家とも付き合うし、「対話」する。「戦後思想の巨人」という表現では捉えきれない。

……本書は、こうした政治的立場の大きく異なる人物を含め、彼らと鶴見とのあいだの「対話」を通して、鶴見自身の内面的対話の過程を明らかにすること、その「対話」の上に、鶴見がめざしていたものは何だったかを探ることを目的とする。〉

 盟友・小田実との一瞬の不和、ハンセン病問題、反戦運動に対する違和感、右翼理論家との深い交際、平和主義・民主主義のルーツ・神話と万歳=漫才の思想史、従弟良行との微妙な関係など。

 著者は鶴見の熱心な読者ではなかった。小田を大学に招いたことがあり、その関係で鶴見の著作を読むようになる。「何気ない一言に思わず立ち止まることがしばしばあった」。たとえば夢野久作の短篇小説――村の老婆の死因を村人は奇想天外な真相を推理するが、駐在は理解できない――の感想。「学者の学問というのはそんな程度」。

 東日本大震災と福島原発事故後、原子力の専門家はまさに「そんな程度」の「御用学者」そのものだった。専門家たちは何の根拠も示さずに、「安全」という言葉を垂れ流した。「誰のための学問か」、「何のための学問か」。

……「いのち」に関することは、もう専門家に任せておけないという思いがこみ上げてきた。人類存続の危機が目の前に来ているような状況のなかで、もはや大学や学界の枠組みなどどうでもよいものに思えた。残りの人生は、「いのち」に関わると思うことだけに携わっていきたいと心に決めた。私はもう五〇代半ばになっていた。〉

 著者は経済学部、社会思想史研究者だが、「医学概論」を講義、執筆。

〈鶴見は、「いのち」という言葉を基本タームにはしていない。医学・医療についてもほとんど語っていない。しかし、日常の「生活する」ことから芸術や学問を捉え直そうとする鶴見の発想は、他ならぬ自分自身の「いのち」を守ることから医学や医療を考えるという私たちの認識にそのままつながる。大学や大学教授を批判するいっぽうで、足許の生活感覚から思考を始めることが既存のアカデミズムを撃つこともありうると鶴見は考える。(中略)地べたから遥か高みを目指すという鶴見の心意気に、私は胸を震わせた。(後略)〉

(平野)