2014年4月19日土曜日

タルホ=コスモロジー


 稲垣足穂 『タルホ=コスモロジー』 文藝春秋 19714

装幀 山本美智代

目次 タルホ=コスモロジー  幼きイエズスの春に

作品解説 松村實
 
 

「タルホ=コスモロジー」 短篇集「ヰタ・マキニカリス」各作品と、同人雑誌「作家」発表作品(195065年、過去の書き直し含む)について解説するとともに、思い浮かんだことを語る。

VITA MACHINICALIS」 ヰタ・マキニカリス

 1946年の冬、若き編集者・伊達得夫が「新潮」に載った足穂のエッセイに取り憑かれ、足穂を探し出す。足穂は戦争中不遇。雑誌に発表してきた原稿を整理し、いろいろな出版社に送っていたが、返されるか、出版されないので自分で取り戻してきた。伊達は1000枚、34篇の作品を出版しようとするが、会社倒産。
 48年、伊達、書肆ユリイカを設立。社名は足穂の示唆による。

 ユリイカ書肆即ち伊達得夫が作ってくれたこの短篇集は、五百部刷ったのがたちまち売れてしまった。(略)伊達は京大独文科出身だけあって、装幀より造本に力を入れるというやり方であった。こんな出版はみんな売れた所で、刊行者にはお金の方はマイナスであろう。だから私も印税やPRなど問題ではなく、二、三部貰ったらけっこうだと思っていた。私は今日でも印税とか原稿料とか口に出すのは、創作者たる者の恥だと思っている。そんなら妻子はどうするのだ? 妻子など初めから持たない方がいい。はっきり云えば私は、妻子のある者と、一度でも新聞小説を書いた奴は信用しないことにしている。彼らはマイホーム乃至新聞社に仕えているのであって、文学に仕えているのでないからだ。(略)

 私は自分の文章の上に、万国博覧会の機械館と、旗で飾り立てた軍艦とを感じている。つまりモザイクであり、アミールアセテートとアセトンの混合液をもってするフィルム的(・・・・・)継ぎ合せ(・・・・)だということが、我ながらよく判っているのである。「あいつの書くものは文学じゃない。あれは上野に陳列すべき工芸美術品だ」もう何十年も前にそんな批評を受けたことがあるが、何を隠そう、その工芸美術的な文学こそ自分が常に狙い、且つ憧れている所なのだ。……
(平野)